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2011年9月22日 (木)

「科学にこそ感性を。技術にこそ感性を」

今週、紀伊国屋サザンシアターで、田中康夫さん、浅田彰さん、福岡伸一さんのトークショーを聞く。『科学と芸術のあいだ』と銘打たれていて、フェルメールをきっかけに、さまざま事象について語る興味深い内容で聴きごたえがあった。それぞれの「トーク芸」としても、入場料1000円では安いくらい楽しめた。

3人の発言には、興味深いものがいくつもあったのだが、冒頭のフレーズは、浅田氏の発言によるもの。今回の原発事故に触れながら、ただ科学だけを前提に物事を進めてもダメだし、技術だけを前提に進めてもダメということを語ったもの。浅田氏のこの発言を受け、福岡氏は「科学の内部にあるゆらぎや繊細さに目を向けることが大事」と語り、田中氏は、それを「洞察力」と言い換えていた。

3人のこの発言は、まさに「システム依存への批判」を語っている。社会をスムーズに進めるためには、いろんなシステムを作り出す必要がある。ただ、システムだけに依存していてはダメで、システムを運用しながらも、結局は、人間による「感性」や「洞察力」がなければ、本来の目的に到達できないということなのだろう。

もっと言えば、システムの運用にばかり目を奪われ、いつのまにか本来の目的を忘れ、本末転倒な状況におかれることが多いということでもある。

例えば、原子力発電所。本来は、社会が効率よく回すために開発され、運用されていたはずだったものだろう。原発関係者たちが、システム運用に追われ、「どんなリスクが発生しているか」への洞察力を失った結果、津波による事故を増大させて、逆に社会の足を引っ張っている状況に陥っていしまったのだ。

今、メディアというものも、儲けを追及する「会社」としてのシステム運用・維持を何よりも優先させているために、本来の目的である社会的責任を果たすことを忘れてしまっているのではないか。その結果、反対に社会の足を引っ張っていたりするのではないか。それはジャーナリスト個人にも当てはまる。「会社員」「生活」というシステムを優先して、本来、自分がすべき責任・役割を後回しにしたり、忘れてしまったりしてしまっている。ボク自身も決して他人事ではないが・・・。

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