「リスクヘッジと効率はトレードオフの関係にあります」
2日連続で内田樹さんのフレーズを取り上げることになる。冒頭のフレーズ「リスクヘッジと効率はトレードオフの関係にあります」というのは、きのう内田氏がツイッターでのつぶやきの中に書かれていたもの。
ちなみに「トレードオフ」を辞書で調べると、「何かを達成するために別の何かを犠牲にしなければならない関係のこと」という意味とのこと。
上記のツイッターに続き、内田氏はきょうのブログで『効率とリスクヘッジ』についての論考を掲載していた。非常に興味深い内容でした。
冒頭のフレーズを補足する説明として以下のように書かれている。
「安全で豊かな社会においては、システムクラッシュのリスクをあまり心配する必要がない。そこでは『効率』を優先する方が適切である。あまり安全でも豊かでもない社会では、システムクラッシュによる壊滅的危機に備えて『リスクヘッジ』を優先する方が適切である。効率とリスクヘッジの善し悪しは、それ自体にはない。システムの危機についての評価に依存する」
現在の様々なところで行われている「対応」や「政策」、そしてそのために作り出されるシステムは、「安全で豊かな社会が今度も続く」という前提のもと、『効率』を優先して作られているのでないか、ということなんだと思う。例として以下のように書く。「TPPも大阪都構想も基本的には『卵はぜんぶ同じかごに入れた方が管理コストが安い』という発想に基づいています」。分かりやすい。
またボクのように中央集権型の社会について批判的なものに対しては、こうも書く。「システムは中枢的で上意下達的なツリー組織であるよりも、(たとえ非効率でも)ある程度分散している方がよいと考える人は『この社会はリスキーなものになりつつある』と考えている」。その通りなのである。
ちなみに、内田氏もツイッターで「僕は日本社会が機能不全に陥るリスクは『かなり高い』と見ています」と告白している。
もうひとつ。言葉の補足として書いておくと、中央集権型の組織について、内田氏は「指揮系統の単線化=組織のモノリスという表現を使っていた。「モノリス」という言葉について調べたら、「石柱」とのこと。つまり以前も記述したことだけど、建設家クリストファー・アレグザンダーが指摘する「ツリー」という概念は、枝葉の裾野の広がりの大きい広葉樹のような形をした「ツリー」から、裾野の狭い針葉樹の形になっているのではと個人的には思っていた。でも、その形はさらに細くなり、さらに「モノリス」すなわち「石柱」の形にまでなっていると考えるべき、ということなのである。きっと墨田区にそびえる東京スカイツリーのフォルムをイメージすればよい。やはり、あの塔の形は、どうみても「ツリー」というよりも「石柱」にしかみえない。
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