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2011年11月10日 (木)

「この世界を受け入れ、徹底的に内在し、ハッキングすることでしか更新されない」

今週、宇野常寛さんが書いた『リトル・ピープルの時代』をいう本を読んだ。村上春樹氏を手始めに、続いてウルトラマン、仮面ライダーなどのポップカルチャーを通して、高度成長以降の「悪」をめぐる変化について書いてある。ポップカルチャーの部分については、ボクがついていけなかった部分もあったが、「悪」=「システム」が「ビッグ・ブラザー」なるものから「リトル・ピープル」なるものに変化していった記述は、たいへん興味深かった。

現代の「悪」について、宇野氏は、次のように書いている。

「もはや世界には、ひとつの大きなものに複数な小さなものが立ち向かう、というわかりやすい構造は存在しない。むしろ、無数の小さな存在が無限に連鎖し、その連鎖が不可視の環境としてシステムを形成している。もはやビッグ・ブラザーのもたらす縦の力、遥か上方から降りてくる巨大な力ではなく、私たちの生活世界に遍在する横の力、内部に蠢く無数のリトル・ピープルたちの集合が発揮する不可視の力こそが、現代においてはときに『悪』として作用する『壁』なのだ」

かつて「悪」というのは、オーソン・ウェルズが『1984』で描いた「ビッグ・ブラザー」というべき、大きな「壁」だった。かつての村上春樹さんも、そうしたものを描いてきた。それが『1Q84』で描こうとしたように「リトル・ピープル」のような無数の小さな存在が「大きな壁」にとって代わった、という訳である。

では、「リトル・ピープル」が形成する「システム」に我々は、どう対処すればいいのか。

村上春樹さんがエルサレムで行った「壁と卵」についてのスピーチに触れ、宇野氏は、システムについて次のように書く。

「言うまでもなく、壁=システムは、私たち=卵が築き上げたものだ。それも私たちが生き延びるために必要に応じて築き上げたものだ」

そして、我々の「立ち位置」については、

「システムは、私たちの外側ではなく内側にあることを自覚することではないか。壁と卵は対立関係ではなく、むしろ共犯関係にある。誰もシステムの外側に立って、壁を破壊する立場に立つことはできない」

この指摘を読んで、すぐに思い出したフレーズがある。麦わら帽子の海賊ルフィが活躍する人気漫画『ワンピース』に出てくる明言を集めた『ONEPIECE STRONG WORDS』という本がある。その最後に掲載されていた解説の中で内田樹さんは、次のように書いていた。

「システムを倒すことはできません。(僕たちは全員そのなかにビルドインされている)。システムの悪を一点に局在化することもできません。(悪は属人的なものではなく、入れ替え可能です。ということは、『無限に換えが利く』ということです)」。

宇野氏が言う「内側」を、内田氏は「ビルトイン」とカタカナで言い換えているだけで同じことを指している。「システムの悪を一点に局在化することはできない」ということは、宇野氏の指摘する「無数の小さな存在が無限に連鎖」、すなわち「リトル・ピープル」の世界のことなのである。両者のフレーズは、面白ほど重なっている。

その現在の「リトル・ピープル」が蠢くシステムを変えるため(宇野氏は「更新」という言い方をしている)に、我々はどうするべきなのか。内田氏は、その方法については、次のように書いている。

「残る方途は、たぶん一つしかありません。ルフィたちもそれを戦略として採用します。それは、システムの中にあるのだけど、システムの中の異物として、システム内部にとどまるということです」

一方、宇野氏は、こういう言い方をしている。

「世界はもはや革命では変化しない。この世界を受け入れ、徹底的に内在し、ハッキングすることでしか更新されない。そのために必要なのは、存在しえない<外部>に祈ることではあり得ない。ただ深く、ひたすらに、この新しい世界の<内部>に<潜む>ことなのだ」

両者に共通することは、外部に立つのではなく、内部にとどまるしか、「悪」と化した現在のシステムを変えることはできないという指摘である。

ただボクは「少し違う」と、ここで思ってしまう。はたして、内部にいれば変えることができるのか。そのシステムに依存しながら、どこまで変えることが可能なのか。ボクが所属する企業でも、そうしようとしている人は多いと思う。でも変わらない。でもリトル・ピープルたちのうごめくスピードには追いつけない。そう思えてならないのだ。

霞が関しかり、永田町しかり。ボクが知っている方でも、日本の官僚機構や政治の世界を変えようと、その内部に居続ける人はいる。全体では相当数いるに違いない。彼らの流している汗は無駄だとは思わないし、いつかは結実することを望む。ただ一方で、システムにからめ捕られてしまった人も数多く、なかなか霞が関や永田町の状況が交連していないこともまた確かなのである。

システムにからめ捕られないようにしながら、どう「徹底的に内在」し続けられるのか。「異物」として存在続けられるのか。それが問題となってくる。

今の時点でボクが思うこと。ステーブ・ジョブスが、一度、自分の企業から追い出され、改めて戻ってきて改革を進めた動きが参考になるかもしれない。一度、そのシステムから飛び出すなり、追い出され、「依存」や「旧来の価値」を断ち切り、改めて「異物」として内部に潜むことで、そこを変えていく。その際、システム側も、そういう「異物」を求めるという素地も必要ではあると思うけど。

宇野氏も今回の本で紹介していた仮面ライダーの生い立ちについて、ショッカーの世界で生まれながら、一度、飛び出し、そして「リトルピープル」となるショッカーたちと戦う構造を紹介していた。

ただ現実の世界では、一度、外部に出たものが、再び内部に潜むことは容易なことでないことも確か。『ねじまき鳥クロニクル』のような井戸からの壁抜けは、なかなか簡単にいかないに違いない。

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