「人々が閉塞感を感じていない場所はもう世界のどこにもないと思います」
ボクと全く同じ生年月日の橋下徹氏が率いる大阪維新の会が大阪のダブル選挙で圧勝した。橋下氏が市長選挙中に強く訴えたフレーズに「この選挙は変えるのか、変えないのか二者択一」というのがある。ここ数年の選挙で必ずキーワードとなるのが、この「変える」という言葉だと思う。
ボクは、どうも選挙中に「チェンジ!」だの、「変革!」だの、「変える!」を連呼する政治家をうさんくさい目でみるようになっている。
だって物事は、そんなにすぐには変わらない。人間だって、すぐには変わらない。社会システムだって、すぐには変わらない。定着までには、それなりの時間が必要。やはり「更新」とか、「掃除」を繰り返すことによって少しずつしか変わらないというのが、ボクの考えだったりする。
また橋下氏が選挙演説で口にしていた「新しい枠組み作りに挑戦しようではありませんか!」という言い回し。最近の民主党の若い政治家なんかもよく使う言い回しなんだけど、気になって仕方ない。結局、こうした人たちは新しい「枠組み作り」「システム作り」には大いに関心を寄せる。しかし、新しい「枠組み」を作ったあと、どんな生活や生き方などを語ることはない。すなわち「システム作り」にしか関心がないのでは思えてくるのである。
「変革!」を訴えたリーダーは、何をするか。まず既成の概念を否定する。そして壊す。だけど、壊したからと言って、新しいシステムがすぐに定着するわけはない。結果、空白が生まれる。すぐに好転しない状況に周囲は徐々に「イライラ」してくる。そんなパターンの繰り返しのような気がする。
漫画家のしりあがり寿さんが、その辺の「気分」を今日のツイッターに書いていた。
「生活や商売がうまくいかない→お上に期待→お上期待裏切る→さらにうまくいかない→さらにお上に期待→そうそう簡単にはいかなくてさらにうまくいかない→さらにお上に期待して政権変える→期待に応えようと無理してうまくいかない→状況悪化、お上に期待するしかなくなる→なんだかよくわからなくなる」
ボクが務める企業の中でも、「変革」を訴えるトップはいろんな部署で頻出している。大体、同じパターンだ。シャレのような話になるが、結局、全体を変えられないトップは、次に「お金の重要さ」を訴えてくる。とりあえずお金を稼いで、状況を好転させようとする。つまり「チェンジ」とは、「変革」ではなくて、「小銭」の意味だったのか、と半分冗談のような気持ちでボクは受け止めたりする。
大阪市長選で、橋下氏の対抗馬である、平松氏を支持していた内田樹氏は、きょうのツイッターで、選挙を受けて次のように書いている。
「『とにかく変化を』と強く要請する制度は、確かに存在します。市場です。市場は人々の嗜好の変化、欲望の変化、毀誉褒貶のジェットコースター的変遷から利益を得るように構造化されているからです」
なるほど。誰が「変化」を求めているかと思ったら、それは「市場」だったのか。確かに、そうかもしれない。市場では、株価やモノの流行り廃りの上下動が激しいほど、「サトイ」とされている人たちは利ザヤを稼ぐことができるのだ。市場に紐付けられた人は、社会が均衡したり、バランスがとれた状況になるより、不安定で激動していた方が、儲かるチャンスが増えるということなのだろう。
国際政治学者の姜尚中氏は、雑誌『中央公論』12月号の『孤独と不安に耐え、外の世界へ一歩を踏み出そう』という文章の中で次のように書いている。
「市場は社会のなかに埋め込まれているのであって、社会が市場のなかに埋め込まれているのではありません」
世の中のリーダーやそれを支持する人たちが「変えること」「変革」「チェンジ」を口にすればするほど、姜氏が危惧するように「社会」と「市場」の立場が逆転していくのではないか。やれやれ。
さて、先ほどの内田氏のツイッターには、もう一つ印象的なつぶやきがあったので、それも書いておく。
「人々が閉塞感を感じていない場所はもう世界のどこにもないと思います(NYや上海の一隅にはいるかもしれませんが)。ただそれは「社会が経済成長過程にあるときにしか開放感を感じられない」という特異な歴史的な「病」の徴候のように僕には思われます」
それこそ「変化」「変動」の上下動の中ではなく、「均衡」や「バランス」が取れた状況の中でも「開放感」が得られる社会システムや我々の認識が必要ということなのだろう。
「経済的な停滞というのは、メディアがヒステリックに語るような退嬰的な現象であるのではなく、『市場への抵抗』のあらわれではないかという気がします。もうモノはいらない。消費にも欲望を感じない。神経症的な経済競争にも興味がない。自然と調和した穏やかな暮らしがしたい。そういう人たちがバブルのときのような狂騒的な消費活動がまたはじまることにうんざりして、ささやかな抵抗を試みている」
ふむふむ。まさにボクがそうなのである。この指摘は、深く納得できる。
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