「統御できるもので勝負して、統御できないものは切り捨てる」
先週の朝日新聞朝刊に脚本家の倉本聰さんのインタビューが掲載されていた。『TPP 北の国から考える』というタイトルが打たれていて、最近のグローバル化の動きなどに倉本さんが考えていることを述べた内容となっている。
倉本さんは、TPPの議論について「土に触れたことない人たち」たち、つまり都市で生活している人たちだけで進められているということを語ったうえで、次のように述べる。
「農林漁業は統御できない自然を相手にするところから始まっている。工業は、すべてを統御できるという考え方に立っている。この違いはでかいですよ。統御できるもので勝負して、統御できないものは切り捨てる。そういう考え方が、TPPの最大の問題点だと思えるんです」
さらには経済中心の世の中について、次のようにも述べる。
「自然を統御できるなんて、思い上がりですよ。なぜ、経済って、こんなに偉くなっちゃったんですかね。日本は確かに経済大国になった。でも、日本というスーパーカーに付け忘れた装置が二つあると思う。ブレーキとバックギアですよ。みんながブレーキをかけることを恐れ、バックは絶対しないと考えている。前年比プラス、前年比プラスと、ひたすらゴールのないマラソンを突き進んでいる」
ここでいう「なぜ、経済って、こんなに偉くなっちゃったんですかね」というフレーズも印象的である。前回書いた自動車事情で、ボクがいつも自動車について考えているのは、まさにこの感じ。「なぜ、自動車って、こんなにえらくなっちゃったんですかね」。自動車イコール経済活動なのである。
さて冒頭でも取り上げた「統御できるもので勝負して、統御できないものは切り捨てる」というフレーズ。これは、TPPのだけのことではない。社会のアチコチの現場で、グローバル化の風潮に追い立てられるように、「制御できなことは切り捨てる」という風潮が広がっているのだと思う。
最近の事例で言えば、大阪の橋下徹市長。単純化した自分の方針・考えを表明して、それに外れたものは切り捨ている。コントロールできる人たちだけで、物事を迅速化して進めようとしている。反対意見を言ったりして、その流れを邪魔するような輩は排除するか、沈黙させる。
これは、ボクが追い出された前の組織でもまったく同じだった。ある日、その世界には素人のトップが降って降りてきて、自分の考えのもとで企業運営を進めようとする。その世界に前からいた者たちが、良かれと思って、トップに対して違う視点を提案したり、異を唱えたりする。すると、そのトップは、自分がコントロール・統御するには手間や時間がかかりそうな、そういう人たちを即座に排除する行動に出たのである。
本来、「組織に大事なのは多様性」と言われていたと思う。多様な意見や考え方が持つ人が集まり、できるだけ多様な視点やアイデアがトップに挙げられる。トップはそれを集約したうえで、長期的・短期的に優れていると思われる判断を下す。それを繰り返すことで、組織は揺れ動く社会の中で居場所をみつけ、生き残っていく。そうした仕組みが強い組織には不可欠だと思っていたのだが…。統御・コントロールできないものを排除すれば、当然、多様性というのは担保できない。組織の厚みや重層性は失われる。
もし「統御できないもの」を次々に切り捨てていくとすると、最後は「人間」や「自然」を切り捨てざるを得なくなっていくのではないか。やはり倉本さんが言うように「自然」というもの、その中のひとつである「人間」というものを「統御」できると思うことは、おこがましいことなんだと思う。そもそも「自然」や「人間」は統御できる存在ではないのである。
先日、こんなこともあった。今の属する組織で、いろいろ問題を起こす従業員への対策が話し合われた。心の病気になる人や問題行動を起こす人が増えていることを受けてのものである。その話し合いのメンバーの一人が「採用の時にコントロールできないような人物は見極め、はじくことができないのか」と言って、ボクはとても驚いたのである。そんなことがわかるわけないし、そもそも人間というものを、どう考えているのか、いつ自分がそうなるかわからないではないか。そう思ったものだ。
それで、いろいろ思い出したフレーズをいくつか、書いておきたい。
作家の村上龍さんは、コラム集『寂しい国の殺人』という本で、当時世の中を騒がせていた「14歳による殺人」を受けて、次のように書いていた。
「もともと人間は壊れているものです。それを有史以来、さまざまなもので覆い隠し、繕ってきた。その代表は家族と法律だ。理念や芸術や宗教などというものもある。それが機能していない。何が十四歳の少年に向かわせたではなく、彼の実行を阻止できなかったのは何か、ということだと思う」
先日、亡くなった落語家の立川談志さんは、生前、次のように語っていた。
「酒は人間をダメにするものではない。人間はダメなもので、それをわからせてくれるのが、酒だ」
両者は、小説や落語というフィクションを作り出す立場である。クリエーターとしての立場から、「人間は壊れているもの」「人間はダメなもの」と言い切っているのがとても印象的で、手帳の片隅にメモしておいたのである。
「人間は壊れているもの」だからこそ、我々は、有史以来、家族、宗教、芸術、国会などなど、必死になって色んなものを生み出し、ここまでなんとかやっているのである。有史以来、人間というのは統御できるものではない、という考えのもと、社会システムそのものを設計し続けてきたのである。たぶん。
去年10月24日の朝日新聞には、エコノミストの水野和夫さんが次のように書いていた。
「『世界は病院である』とは、鈴木忠志氏の演劇に貫徹するテーマだ。代表作の一つ『リア王』の演出ノートに『世界あるいは地球上は病院で、その中に人間は住んでいるのではないか。私は、この視点から多くの舞台を作り出してきた』」
「経済学でも人間は合理的に行動するものだと信じ、挙句のはてに『100年に一度』の金融危機を招き、若年層に高失業率という犠牲を強いてしまった」
つまり、ここに出てくる鈴木さんは「人間は、もともと病人なのである」としてとらえている。そんな人間を「病人」ではなく、「合理的に行動するもの」すなわち「統御・コントロールできるもの」ととらえた結果、起きたのがリーマンショックなどの経済危機だったのではないか、と水野氏は指摘している。だけど我々は、こうした経験から全く学ぶことなく、さらにさらに「合理的」「統御できる」ものばかりを追い続けている。この風潮の先に、どんなことが待っているのか。
本来からいえば、我々は「統御しにくいもの」を切り捨ているのではなく、「統御しにくいもの」「コントロールできないもの」「壊れたもの」「ダメなもの」「病気のもの」と、どうやって折り合いながら継続的に共存していくのか、その社会システムの設計について頭を絞るのが先決なのではないだろうか。
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