「若い人たちは、民主主義と市場原理を同じひとつの社会システムだと考えているのかもしれない。それらは、似ているようでいて、まるで違う」
ここ2回、大阪W選挙の結果を受けてのフレーズをとりあげてきたけど、今回もそんな感じ。コラムニストの小田嶋隆さんが日経ビジネスオンラインで連載している『ア・ピース・オブ・警句』に、今日(12/2)、『大阪の「維新」とまどろっこしい民主主義』と題した文章が掲載され、とても興味深かったので、その中のフレーズをとりあげたい。きのうの平川克美さんの指摘とも重なる部分も多い。
小田嶋氏は、まず、最近のニューストピックである「オリンパス問題、TPP、暴対法、大阪での選挙結果、自転車の車道通行問題、各種のコンプライアンス関連事案」には、「グレーゾーンに対する寛容さの欠如」が通奏低音としてあるとしたうえで、次のように述べる。
「われわれの社会は、白と黒との境界領域にある、「不明瞭さ」や「不効率」や「ルーズさ」に対して、鷹揚に構える余裕を失っており、他方、グローバリズムに取り込まれたローカルな組織に独特な、無力感に苛まれているのだ」
今までグレーゾーンとしてやってきた慣習、「日本的」とも、「なあなあ」とも、「曖昧」ともいえるような慣習について、白黒つけなければならないという風潮が強まっている」ということなのだろう。ボクは、これまで、そうしたグレーゾーンこそ「パブリックな意識」「公共的な意識」が問われる場だと思ってきた。ということでは、日本から「公共の場」、私のモノでも、あなたのものでもない場所がなくなってきたということでもあるのだろう。
続いて小田嶋氏は、「民主主義」について、こう書く。
「民主主義は、元来、まだるっこしいものだ。デモクラシーは、意思決定のプロセスに多様な民意を反映させるべく、徐々に洗練を加えてきたシステムで、そうである以上、原理的に、効率やスピードよりも、慎重さと安全に重心を置いているからだ」
その「まだるっこさ」を我慢できない社会やリーダーが希求するのが、「効率」であり、「スピード」であり、さらには「変わること」「改革」なのだろう。
「でも、私は、『維新』なり『改革』が、そんなに簡単に結実するとは思っていない。正直に申し上げれば、非常に悲観的な観測を抱いている。民主主義の政体に果断さや効率を求めるのは、そもそも無いものねだりだ。逆に言えば、それら(スピードと効率)は、民主主義自体の死と引き換えにでないと、手に入れることができない」
では、どうしたらいいのか。小田嶋氏は次のように述べる。
「民主主義は、そもそも『豊かさ』の結果であって、原因ではない。つまり、民主主義は豊かさをもたらすわけではないのだ。それがもたらすのは、まだるっこしい公正さと、非効率な安全と、一種官僚的なセーフティーネットで、言い方を変えるなら、市民社会に公正さと安全をもたらすためには、相応の時間と忍耐が必要だということになる。結局のところ、われわれは、全員が少しずつ我慢するという方法でしか、公正な社会を実現することはできないのだ」
きのうも書いたように、我々は「耐える」「我慢する」しかないということらしい。「複雑さ」「あいまいさ」「不完全さ」そして、「まどろっこしさ」といったものに対して。
そして、冒頭に挙げた興味深いフレーズが書かれている。
「若い人たちは、民主主義と市場原理を同じひとつの社会システムだと考えているのかもしれない。それらは、似ているようでいて、まるで違う。ある場面では正反対だ」
この指摘は目から鱗だった。そう。ボクもどこかで「民主主義」と「市場原理」というのは同じ構造を持っていると思っていた時期がある。その違いについて突き詰めては、考えてはこなかった。
「民主主義の多数決原理は、市場原理における淘汰の過程とよく似ているように見える。が、民主主義は、少数意見を排除するシステムではない。むしろ、少数意見を反映する機構をその内部に持っていないと機能しないようにできている。だからこそそれは効率とは縁遠いのだ」
きのう平川氏は、民主主義が「最悪の結果」を招くことがあるからこそ、担保として「少数意見の尊重」が必要と指摘していた。それを小田嶋氏は「少数意見を反映しないと機能しないようにできている」という言い方をしている。ふむふむ。
こうした民主主義についての「負」の側面について、経済学者の佐伯啓思さんも、きのう(12/1)の朝日新聞のインタビューについて危惧を語っていた。
「日本人は、民意がストレートに政治に反映すればするほどいい民主主義だと思ってきた。その理解そのものが間違っていたんじゃないか」
「国民の政治意識の高まりを伴わないまま、民意の反映を優先しすぎたために、非常に情緒的でイメージ先行型の民主主義ができてしまった」
「最悪の結果」「衆愚政治」を招きかねない民主主義。それに市場と同じように「民意」というものを反映させてしまっているのが、日本の現状なのではないか、ということなのではないか。
佐伯氏は、次のように語る。
「まず民主主義の理解を変える。民主主義は不安定で危険をはらんでいることを前提に、どうすれば民主主義をなんとか維持していけるかを考えなくてはならない」
2日連続で、「民主主義」というシステムについてのフレーズを紹介することになってしまった。民主主義というとても大きな「システム」も、戦後60年が経ち「澱」のようなものがたまっているのかもしれない。そして我々の付き合い方、依存の仕方、更新の仕方を含め、どう対処しているかが求められている時期に来ているということなのだろうか。
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