「損得ではなく善悪で判断せよ」
ここ数日のツイッターに印象的な「つぶやき」があったので、それを紹介してみたい。
きのう(2/14)のことだけど、偶然見かけた馬場正博さんという方のつぶやきの中に、こんな文章を見つけた。
「稲盛氏は経営は損得ではなく、善悪と言っている。きれいごとのようだが、数字だけで複雑で巨大な組織をまとめ上げることは難しいし、できても脆い。理念でまとまった組織は強い。原因か結果かわからないが、衰退企業は理念がない。理念のない数字だけの組織は泥棒みたいな社員ばかりが増える」
ここでの稲盛氏は、京セラの創業者の稲盛和夫氏のこと。現在は、確か日本航空の会長さんをやっているはず。その稲盛氏が、経営というものは「損得」で考えるのではなく、「善悪」すなわち「理念」で行わないと、結局は衰退するというようなことを言っているとのこと。
調べてみると、去年10月に中国の上海で行った地元の経営者向けの講演会で、「正しい経営判断を導くためには損得ではなく善悪で判断せよ」と、自説を説いている。
ボク自身、最近、「何でもかんでも損得ばかりだなあ」と思うことが多かったので、この稲盛氏のコメントは突き刺さった。本当に、「損得」で物事を考える風潮が跋扈していると思う。メディアという存在のボク自身の会社でも、本来「理念」や「善悪」や「社会的責任」で考えなければいけないことまで、悲しいことに「損得」、つまり「金銭的にプラスか、どうか」「もうかるか、どうか」という経営が行われてしまっている。一応、メディアなのに…。
短期的な損得で、簡単に人の配置や番組を変えてしまう経営者。金銭的な損得で、簡単に番組を降りてしまう出演者。年収などのお金の損得で、簡単に会社を渡り歩く社員たち。などなど。
みんな安心したいからなのだろうか。よくわかんないけど。確かに「損得」を基準にして、得できる選択をした場合、一時的な「安心」はできる。それが、まさに「得した」という気分なのだろう。でも他の部分で失っていることは多かったりしないだろうか。昨今の学生の会社選び、結婚相手選び、子供たちの受験競争などを見ていても、昔ながらの「損得」で行われていて、案外、大事なものが見失われていたりするんじゃないかなあなんて考えたりしてしまう。
もちろんボク自身も、ものを選択するときには「損得」については考えることがないといえばウソとなる。できるだけ「得」をする選択をすることが、賢いという意識はある。でも、そんな選択ばかりでは、結局、虚しさだけが澱のように残っていくのである。キレイごとなのかもしれないけど。
先週2/10のツイッターには、岡田嘉成さんという方の、こんなつぶやきも偶然に見つけた。
「『競争』ということをしきりに言う。競走というより切磋琢磨ということを否定はしないけど、競争することは目的ではない。これはあくまで前進のための手段。どこかの国が『自由競争』とかいうけど、国民が不幸になる競争や自由なら御免こうむりたい」
さきの馬場さんのツイートと、岡田さんのツイートにはつながるものがある気がする。いくら会社が「得」をして、競争に勝ち得ても、長い目でみて、社会がマイナスになったり、属する社員にマイナスになっているのなら、それは長続きはしない。向かうべき「理念」があるからこそ、切磋琢磨を乗り越え、前進できるのである。やはりキレイごとと言われてしまうだろうか。
医師で、神戸大学教授の岩田健太郎さんは、『有事対応コミュニケーション』という本の中で語っていた、こんな言葉を思い出した。
「効率やカネが要らないといっているのではない。それ『だけ』が勝ちの主軸で、人命と安全と平気でトレードオフにしてしまおうという根性が問題なのである」
このセリフをマネるなら、こうなる。
「損得を考えることや、競争することが要らないといっているのではない。それ『だけ』が勝ちの主軸で、理念や善悪と平気でトレードオフしてしまおうという根性が問題なのである」
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