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2012年3月 8日 (木)

「たくみに『ゆらいでいる』人のことを私たちは伝統的に『成熟した大人』とみなしてきた」

大人とは、どういう存在か。

以前は、漠然とではあるが、「ぶれない存在」とか、「かっことしたものがある」とか、「自分というものをちゃんと持っている」とか、そういうものが「大人」だと思って、そういう存在になることが自分にも求められている気がしていた。

ただ最近になって、実は違うではないかということに薄々ではあるが気づきだした。

内田樹氏は、フランスの日本紹介雑誌『Zoom Japon』3月号に『日本メディアの病態について』という文章を寄せていて、その中でこんなことを語っている。

「生き延びるためには、複雑な生体でなければならない。変化に応じられるためには、生物そのものが『ゆらぎ』を含んだかたちで構成されていなければならない。ひとつのかたちに固まらず、絶えず「ゆらいでいること」、それが生物の本能である」

「私たちのうちには、気高さと卑しさ、寛容と狭量、熟慮と軽率が絡み合い、入り混じっている。私たちはそのような複雑な構造物としてのおのれを受け入れ、それらの要素を折り合わせ、強制をはかろうと努めている。そのようにして、たくみに『ゆらいでいる』人のことを私たちは伝統的に『成熟した大人』とみなしてきた」

つまり、けっして「ぶれない人」が大人なのではない。「たくみにゆらいでいる人」が大人だというのである。

以前、このブログでも、世の中には「統御できないもの」「アンコントロールなもの」であふれている、ということを書いた。(2011年12月14日)。結局、「統御できないもの」を効率化のために社会から排除していけば、最後は人間そのものを排除しなければいけなくなるという文意だった。

社会そのものは、「統御できないもの」「コントロールできないもの」にあふれているのである。そうした中で自分自身が揺らがないようにするとどうなるか。短絡的には、社会そのものを統御しやすいものであることを求め、多様性を排除し、単純化を進めてしまう。でも、そんなことは可能なのだろうか。そもそも忘れてならないのは、内田氏の言うように、自分自身も複雑な存在で「統御できないもの」であるということ。

つまり、大人というのは常に「ゆらいでいる社会」の中で、「たくみにゆらぎ」、やりくりする存在のことなのである。

「統御できないもの」「アンコントロールなもの」に対しても、上手にやりくりしてやりすごす能力を持っている人こそ、大人というものだったりするのである。

当たり前だけど、思い通りいかないのが世の中である。落語の世界は、『花見の敵討ち』にしろ、『時そば』にしろ、思い描い通りに行かない人間の様が描かれているため魅力的なのである。

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