「ぼくはいま、『5%は仕方ない』と決めてやっているんですね」
現在、企業やお役所など日本のあちこちの組織の中で、連呼されている言葉が「スピードをあげろ」や「リスクをなくせ」と言うフレーズではないかと思う。
組織をシンプルにして効率化をはかり、お金の流れや人の動きなどのムダを徹底してなくしていくことで物事のスピード化を図る。またコンプライアンスの意識を高めてルール厳守を徹底して、さらにシステムによる管理を強化することで、不慮のミスが発生しない環境をつくり、リスク・ゼロを実現しようとする。
しかし思うのだが、現在のやり方によって「スピード化」と「ミス・ゼロ」というものは両立し得るのだろうか。ここ1年くらい、ずっとそのことが気になっていた。
去年のことになるが、食品安全委員会でBSE対策を担当した北里大学教授の吉川泰弘さんは、当時、日本政府が検討して、進めていたBSE対策について、朝日新聞(12/30)で次のように語っていた。
「ゼロリスクは本来ありえないのに、膨大なコストが投じられた。リスクとうまく付き合うすべを国民が考えなくなってしまった」
国民があまりに求める完璧な「ゼロリスク」に、どれだけ予算や時間がかけられているのか、という指摘である。ダイオキシン、PCB、口蹄疫など、次々と食品にまつわるリスクが次々に、それに対する異常なまでの対策に予算や時間がとらわれ、しかしながら、そうした問題はすぐに忘れられていくとも言う。
また当然ながら「ゼロリスクは本来ありえない」という指摘も重要だと思う。人間が生きている自然に「ゼロリスク」なんてありえないだろうし、自然から乖離された空間が存在したとしても、人間も自然の一部なわけだから、当然、人間が関わった問題で「ゼロリスク」なんてものもあり得ないということになる。
では、どうしたらいいのか?先日読んだ早稲田大学大学院の西條剛央さんの『人を助けるすんごい仕組み』という本の中に、ほぼ日刊イトイ新聞編集長の糸井重里さんとの対談が紹介されていて、そこに興味深い部分があったので紹介したい。
西條 「ぼくはいま、『5%は仕方ない』と決めてやっているんですね」
糸井 「5%・・・」
西條 「どんなことをしても批判する人はいますし、失敗する可能性もある。だからつねに完璧を目指すのではなく、『5%は大目に見よう』と」
糸井 「なるほど」
西條 「これをゼロに近づけようとすると、リスク管理に膨大なエネルギーを割くことになって、とたんにパフォーマンスが下がるんです」
糸井 「へぇ・・・」
西條 「だから、最後の5%にはこだわらず、あまり厳密に考えすぎずに95%のところで、どんどん迅速にやっていくんです。なにしろスピードが勝負ですから」(P183)
この西條さんのコメントは、彼が関わった東日本大震災での復興ボランティア活動について話されたもの。対策のスピードが要求されるなか、「リスク」とどう向き合うかについて語ったもので非常に興味深い。
先の吉川さんと、西條さんは全く同じことを指摘しているのである。「リスク・ゼロ」と「スピード化」というのは全く両立しないということ。
現在とにかくもてはやされている「コンプライアンス」。ルールをちゃんと守るようにすれば、「リスク・ゼロ」や「ミス・ゼロ」が実現できる発想なんだと思うのだが、これについては、先日読んだ『日本人はどう住まうべきか?』という対談本の中で、脳学者の養老孟司さんが、建築家の隈研吾さん相手に語っていたことが興味深かった。
「現場にいる人は、機能的じゃないととても困るんです。建築も現場を抱えているから、よくお分かりになるでしょう。現場というのはルールで動かない。適当にごまかす方が早いし、スムーズにいく。解剖なんか典型的にそうです。解剖の手順をいくら厳しく規定したって、死体は一個一個違うんだから、ルール通りになっていかない」(P73)
この養老さんの指摘は、コンプラを強化すれば「リスクやミスのない現場」が生まれるという考え方とまっこうから対立している。物事をスムーズに進めるためには「適当にごまかす」ことも必要という指摘は、吉川さんや西條さんの指摘とも重なっている。
まあ経営陣といった組織のリーダーたちは、口が裂けても「適当にごまかせ」なんて言うことができないんだろう。だけど、その一方で、本当はあり得ないはずの「リスク・ゼロ」の状況を常に要求している経営意識や社会風潮について、改めて考え直す必要がある。そのために莫大なコストやエネルギーが浪費されているわけだから。
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