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2012年4月24日 (火)

「短期的には苦しくとも価値を創造していこうというのが日本にはない」

フランスの経済学者、ジャック・アタリ氏による今週の毎日新聞朝刊(4/22)のコラム『時代の風』を読んだ。日本の最大の弱点は総理が短期間で替わりすぎることという指摘をした上で。次のように述べている。

「資源の乏しい日本がバイオテクノロジーやロボット技術、ナノテクノロジーで世界一の座に上り詰めたのは、かつて長期的なビジョンを持っていたからだ。しかし、日本は短期的な利益を目指すようになりつつある」

「日本は長期的な視点で物事を考えなければならない」

ここ数年のように、総理がわずか1年くらいという短期間でクルクル替わっていては、長期的な取り組みが出来ない。これが日本の凋落の原因の一つだ、という指摘である。

短期的な視点、すなわち近視眼的な風潮がハビこっているというのは、アタリ氏が指摘する政治の世界だけではない。最近たびたび引用させてもらっているが、建築家の隈研吾さんは、日経ビジネスオンライン(2/2)で次のようなコメントをしている。

「長期的な視点は、今の日本で最も欠落しているものです。例えば、選挙で当選した参議院議員が任期中に考えるのは、次の選挙のことでしょう。それって長くて6年です。それと、役人のポジションは、ほとんど2~3年で替わっていきます。もし長く考える役人がいても、せいぜい自分の定年まで。しかも彼らの実質的な定年はだいたい50歳ぐらいですから、どんなに長く考えたとしても20年くらいなんです。それ以上長い時間軸で考えている人って、日本の中枢にほとんどいないんじゃないかな」

特に隈さんがメイン・フィールドとする建築業界については。こんな興味深い指摘も。

「日本の行政システムが1年間で予算を消化しなきゃならないから、今の時代の建築に関わるすべてのことは、全部1年単位になっています。その年度の予算というのを前提にして、建物の規模が決まってくるから、『国家百年の計』で建築を考えている人なんて誰もいないですよ。当然、建物の設計もその年度で終わらなきゃいけない、ということになっています」

政治の世界、そして役人の世界が近視眼的になることによって、実際、建築にも大きな影響が出ている。同じようなコメントは、思想家の内田樹さんもしていたのを見つけた。去年12月25日に毎日放送で放送された『辺境ラジオ』というラジオ番組の中でのコメント。

「ビジネスマンって結局、四半期で考えているんだよね。四半期の決算のことでね。三ヶ月単位くらいでしか考えていないの。今期のもし業績が悪化したら、もうその次はないんだ。今は、三ヶ月間生き延びるしかないんだ・・・。政治家は、次の選挙・・・」

ビジネスの世界における物事のスパンが、どんどん短くなっているということは、ボク自身にも強い実感がある。かつてボクが働いていたラジオの世界でも、20年弱くらい前は、その番組が定着して、さらに結果を出すためには「4年くらい」は掛かると言われていた。その間、現場では修正を繰り返しながら、番組を大事に育てていく。やがてやってくるブレークスルーを信じて。経営など幹部たちは、時々は口を出すが、2~4年くらいは「待ってくれた」のである。それが、どんどん短くなっていく。今ではラジオの世界でも、1年我慢してくれればいい方なのではないか。1~2年経って、結果が出ないと番組が変えらてしまう。かたやテレビの世界なんて、1クルー、3ヶ月単位で番組がクルクルと変わっていく。またスタッフなど人事面の異動でも、もう1~2ヶ月単位でクルクルかわってしまう。とにかく「待てない」のである。

どんどん日本が近視眼的な社会になっているということなのだろう。短い期間の損得だけで物事を考えることを「打算的」とも言う。打算的な手当をしか行えない社会というのは、果たして何を失っていくのであろう。

社会学者の宮台真司さんが、去年12月7日に東京・恵比寿で行ったトークイベントで、彼が話した言葉を記したメモが残っていたので、そのコトバを紹介してみる。

「ドイツでは原発を止めることで電気代が高くなるマイナスを負いながら価値を発信している。短期的には苦しくとも価値を創造していこうというのが日本にはない」

「価値を共有することを私たちはないがしろにしすぎている」

短期的には苦しい状況があっても、それを長期的に乗り越えることで、社会の中に新しい価値が生まれることがあるという指摘である。残念ながら、今の近視眼的な日本社会では、こうしたことは出来ないことになる。つまり、現在の近視眼的で、打算的な風潮が強まれば強まるほど、社会の中で「価値が共有されること」がないがしろにされ、ますます「価値の分断」が進んでいくということになるのだろうか。

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