「日本ではしきたりで、色々なつながりで、言いたいこと言えない社会なの」
ラジオデイズという配信サイトがある。そこで購入した『ラジオの街で逢いましょう』という番組を聴く。「本当のスポーツ文化」を育てると題して、セルジオ越後さんをゲストに迎えていたもの。彼のサッカーやアイスホッケーの経験から日本のスポーツ文化を語るというもので、とても楽しく聴いた。やっぱり「音声」だけというのは良い。
その中のトークで、日本の批評文化にふれたコメントがあった。
「評論家というのは、真実を伝えるのが仕事だと思う。ただ日本ではしきたりで、色々なつながりで、言いたいこと言えない社会なの。すぐブラックリストとか。だから評論家は褒める仕事じゃないんですね。良いときには良い。足りないところを教えてあげる。だから幸い選手らには評判がいい。例えば、ドーハの帰りにカズが『セルジオさんくらいだね。僕に足りないところを教えてくれる。あとは皆ペコペコ、ペコペコしてね。僕は何が足りないのか分からなくなってしまう』」
日本のスポーツ界には、する方にもされる方にも「厳しい批評・批判」を受け入れる土壌がないと指摘する。
同じことは、元日本代表監督のオシム氏も、雑誌『フットボールサミット』(第6号)で指摘している。
「批判されることが全くなかったら、進歩などありえるはずがない。自分がいいのかどうかすら、知ることができない。新聞の批評を読んで、自分が優れているとようやく分かる。しかし、よくないプレーに関して、新聞でも『悪い』とはっきり欠かないし、誰もスター選手に対して、敢えて本当のことを言おうとはしない。批判したことを非難されないために、誰も何も言おうとしない。本物の批判がなければ、進歩できない」
「私に言わせれば、それが進歩のための唯一の道だが、日本では批判することもされることも嫌う。誰も批判されることを喜ばないのはどこでも同じだ。誰もが愛されながら生きたいと願っている。だがそれでも、進歩のために批判を受け入れている」
またサッカーライターの杉山茂樹さんも、著書『「ドーハ以後」ふたたび』でオシム氏のインタビューについて書いていた。
「オシムは僕のインタビューにこう答えた。『ある選手が代表に呼ばれない理由について、もし説明が必要なら、私はいくらでも話すつもりだ。私は正しくないと侮辱されても起こらない。もっと議論しよう』。さらにこう続けた。『キミたちメディアは、もっと私を追及しなければいけない』」(P410)
メディアや評論家が、なぜ「批判」しないのか。上記の本の中で杉山茂樹さんは、次のように書く。
「サッカーで飯を食っていくためには、どう振る舞えばよいかについて考える人は多かった。メディアもしかり。どちらに付いた方が得策か。スポンサーの意向を気にしなければいけない大手メディアほど、当たり障りのない報道に終始した。
世界を見回しても、これは珍しいケースだ。日本ほど批判をしないメディアはない。そう断言できる。メディア報道はすっかり商売になっている」(P79)
サッカーだけでない、きっとオリンピックだってそう。ジャーナリストやメディアという立場にも関わらず、厳しい批評をすると、商売を干されてしまったり、日本中が盛り上がっているのに何で水を差すのか、とパッシングを受けたりするそうだ。大手メディアは、批判することよりも、とにかくそれを盛り上げることで、より高い売上げや視聴率を追う。
セルジオ越後さんも上記の対談で、選手出身の評論家の場合、厳しいことを言うと「監督への道」がなくなるから「褒める仕事」に終始すると指摘していた。やれやれである。
« 「同じ考えを持つものしか『国民』になれない国は『ロボットの国』だけだ」 | トップページ | 「ブンダン主義-。それは、ありとあらゆることを切り離して考えようとする悪癖である」 »
「★批評&批判の大切さ」カテゴリの記事
- 「メディアが権力に介入されて押しつぶされてしまうと、我々は押しつぶされているということすら分からなくなる」(2014.12.13)
- 「ドイツ人は、自分たちの社会を批判して元気になっている。脳が最高に働き、議論を交わす喜びがあるから。そのうれしさを日本の人々にも味わってほしい」(2014.12.12)
- 「批判されることが全くなかったら、進歩などありえるはずがない。自分がいいのかどうかすら、知ることができない」(2014.12.11)
- 「知性を求める態度は軽蔑の対象になります。理屈をこねくり回して何もしない人間だとバカにされます」(2014.09.04)
- 「本来、政治的な風刺やパロディーというものは、直接的に権力を批判できない環境の中で力を発揮し、人々に新しい見方を提供する役割を果たしてきた」(2014.09.03)
「ジャーナリズム」カテゴリの記事
- 「日本人は大手メディアの信頼性を重視し、誤報を許さない。一方、米国ではアカウンタビリティー(説明責任)を重視する」(2014.01.24)
- 「被災地にも、またそれ以外のところでも、『誰かが何とかしてくれる』という強い依存感覚が働いていたように思えてならないのである」(2013.04.30)
- 「私は社会の眼は、発明や研究をよりよくエンカレッジする力として働くと思っています」(2013.04.17)
- 「およそ先進国といわれている国でこれほど国際情勢をきちんと扱うメディアが貧弱な国は他にはない」(2013.04.10)
- 「へそ曲がりというか、偉そうな連中を見るとつい歯向かいたくなる反骨心というか、それは記者にとって最も大切な資質ですよ」(2013.04.10)
この記事へのコメントは終了しました。
« 「同じ考えを持つものしか『国民』になれない国は『ロボットの国』だけだ」 | トップページ | 「ブンダン主義-。それは、ありとあらゆることを切り離して考えようとする悪癖である」 »
コメント