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2012年8月31日 (金)

「日本ではしきたりで、色々なつながりで、言いたいこと言えない社会なの」

ラジオデイズという配信サイトがある。そこで購入した『ラジオの街で逢いましょう』という番組を聴く。「本当のスポーツ文化」を育てると題して、セルジオ越後さんをゲストに迎えていたもの。彼のサッカーやアイスホッケーの経験から日本のスポーツ文化を語るというもので、とても楽しく聴いた。やっぱり「音声」だけというのは良い。

 

その中のトークで、日本の批評文化にふれたコメントがあった。

 

「評論家というのは、真実を伝えるのが仕事だと思う。ただ日本ではしきたりで、色々なつながりで、言いたいこと言えない社会なの。すぐブラックリストとか。だから評論家は褒める仕事じゃないんですね。良いときには良い。足りないところを教えてあげる。だから幸い選手らには評判がいい。例えば、ドーハの帰りにカズが『セルジオさんくらいだね。僕に足りないところを教えてくれる。あとは皆ペコペコ、ペコペコしてね。僕は何が足りないのか分からなくなってしまう』」

 

日本のスポーツ界には、する方にもされる方にも「厳しい批評・批判」を受け入れる土壌がないと指摘する。

 

同じことは、元日本代表監督のオシム氏も、雑誌『フットボールサミット』(第6号)で指摘している。

 

「批判されることが全くなかったら、進歩などありえるはずがない。自分がいいのかどうかすら、知ることができない。新聞の批評を読んで、自分が優れているとようやく分かる。しかし、よくないプレーに関して、新聞でも『悪い』とはっきり欠かないし、誰もスター選手に対して、敢えて本当のことを言おうとはしない。批判したことを非難されないために、誰も何も言おうとしない。本物の批判がなければ、進歩できない」

 

「私に言わせれば、それが進歩のための唯一の道だが、日本では批判することもされることも嫌う。誰も批判されることを喜ばないのはどこでも同じだ。誰もが愛されながら生きたいと願っている。だがそれでも、進歩のために批判を受け入れている」

 

またサッカーライターの杉山茂樹さんも、著書『「ドーハ以後」ふたたび』でオシム氏のインタビューについて書いていた。

 

「オシムは僕のインタビューにこう答えた。『ある選手が代表に呼ばれない理由について、もし説明が必要なら、私はいくらでも話すつもりだ。私は正しくないと侮辱されても起こらない。もっと議論しよう』。さらにこう続けた。『キミたちメディアは、もっと私を追及しなければいけない』」(P410)

 

メディアや評論家が、なぜ「批判」しないのか。上記の本の中で杉山茂樹さんは、次のように書く。

 

「サッカーで飯を食っていくためには、どう振る舞えばよいかについて考える人は多かった。メディアもしかり。どちらに付いた方が得策か。スポンサーの意向を気にしなければいけない大手メディアほど、当たり障りのない報道に終始した。

 世界を見回しても、これは珍しいケースだ。日本ほど批判をしないメディアはない。そう断言できる。メディア報道はすっかり商売になっている」(P79)

 

サッカーだけでない、きっとオリンピックだってそう。ジャーナリストやメディアという立場にも関わらず、厳しい批評をすると、商売を干されてしまったり、日本中が盛り上がっているのに何で水を差すのか、とパッシングを受けたりするそうだ。大手メディアは、批判することよりも、とにかくそれを盛り上げることで、より高い売上げや視聴率を追う。

 

セルジオ越後さんも上記の対談で、選手出身の評論家の場合、厳しいことを言うと「監督への道」がなくなるから「褒める仕事」に終始すると指摘していた。やれやれである。

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