「ブンダン主義-。それは、ありとあらゆることを切り離して考えようとする悪癖である」
前回で取り上げた「批評がない」というのは、スポーツ界だけのことなのだろうか。セルジオ越後さんと『ラジオデイズ』で対談していたコラムニストの小田嶋隆さんは、こういう。
「日本の論壇とか、文壇だとか、壇というのが形成されると、インサイダーしか批評できなくなる。アウトサイダーは排除してしまって批評が成立しなくなるというのは構造的にある」
「原子力村と一緒ですよ。お互い仲間だから痛いことを言い合うのはよそうよ、みたいな空気がだんだん形成されていってしまって。悪気はないんだけど」
いわゆる「セクショナリズム」「タテ割り」というやつ。自分のテリトリー外に対しては口を出したり、出させなかったりした上で、自分たちは「仲良しクラブ」で過ごす。
この「セクショナリズム」について、脳学者の養老孟司さんは、『日本のリアル』という本の中で次のように述べている。
「日本は専門家が幅をきかせる国です。専門家は、人に口出しさせないことで自分の存在意義を確認しようとします。学者は自分の専門領域を守ることで、自分の地位を守ろうとしているんです。だからボクは『学界』と呼ばずに、意地悪く『業界』と呼ぶんですが」(P109)
他の「業界」の人には口を出させないで自分の地位を守る。そこでは「権威」として君臨する。まさに小田嶋さんが指摘していた「原子力村」の構造である。そんな「業界」では、メディアといえども第三者の者からの「批評」「批判」を受け入れることはない。
出版社「ミシマ社」を経営する三嶋邦弘さんは、著書『計画と無計画のあいだ』で、そうした風潮を「ブンダン主義」と読んでいた。カタカナで書くのは、「文壇」と「分断」を掛けているからだと思われる。
「ブンダン主義-。それは、ありとあらゆることを切り離して考えようとする悪癖である、その内輪の論理(組織内論理)を絶対として、外部との連携を積極的におこなわず、内部完結してしまうことに一点の疑問も抱かない。悪しき習性を指す。要は、隣の出来事は『われ関せず』の一点張り」(P199)
なぜ、そんなことになるのか。
「少しでもかかわれば、自分たちの『効率』が落ちてしまう。その分仕事が増えたり、めんどくさいことが起こる確率が上がったりする。だから、最初からかかわらない。たとえ、その仕事がどんなに『面白い』ものであっても(面白いものであればあるほど、無我夢中になってやるので、当然、がくっと落ちるのものです)」(P199)
「このブンダン主義は、全体の熱を下げるにとどまらない。ひとたびこの悪しきイデオロギーに冒された個人は、自身はおろか組織の本来の役割も簡単に忘れてしまう。自分やっている『おかしさ』に何の疑問ももたなくなる」(P200)
三嶋さんの指摘は、あくまでも彼がいる出版業界での経験を基に語ったものではあるが、恐ろしいほど「原子力村」の問題への指摘としても成り立つ。つまり「効率」や「金儲け」を追及してきた日本社会の遍く場所で、こうしたことが起きているということなのではないか。
「効率主義とブンダン主義によって生まれた『(結果としての)非効率』は、感覚なき人たちをも出現させているのだ。熱量を下げることに対し、きわめて無自覚な人たちを」(P201)
スポーツ界という「業界」の人たちは、厳しく批判されることで「業界」が盛り下がり、自分たちのウワマエが減ることを恐れている。しかしながら内輪の専門家だけがはびこり、ブンダン主義が席巻すれば「非効率」が進み、自分たちの「業界」が地盤沈下していく、ということに気付いていないのだろうか。ここでも「まずは、目先!」という考え方が優先されているのか。
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