「基本的な価値観は一致している」
最近、「価値観」という言葉が、政治の世界でとても流通している気がする。この言葉を特に好きなのが、大阪の橋下徹市長だと思う。
先日、維新の会の公開討論会が行われ、橋下氏は、討論会に参加した国会議員や首長らに対して、次のようなコメントを述べている。
「基本的な価値観は一致している。一つのグループとしてしっかりまとまれるのではないか」
「価値観を確認し合う話し合いができたのは大きな意味がある」
討論会についてのコメントで橋下氏は、何度か「価値観」という言葉を使っている。ただ傍観者として見ていると、参加している政治家とお互いの価値観を確認しているというより、橋本氏の持つ価値観にただ従っているだけのようにしか見えなかったりもする。
参加していた東国原英夫氏も「維新の価値観に賛成」と「価値観」という言葉を使って話している。
橋下氏は、今年5/19の記者会見で「リバティおおさか」という施設の補助金廃止に絡んで、次のような話をしている。
「価値観と価値観がぶつかったときにどれを採用するか。税の使い方、価値観と価値観がぶつかったとき、どれを採用するか、どの税を使い方として、どの価値観を採用するかの決定権は僕にあります」
もし価値観と価値観がぶつかった場合、どこかで誰かが決めないと当然、物事は前に進まない。それは理解できる。だからと言って、自らは選挙で選ばれた者であるとはいえ、上から価値観を押し付けるようなことを続けていることには個人的には違和感を持ってしまう。
やはり価値観と価値観がぶつかった場合、まず必要なのはすり合わせの作業だし、その時間ではないだろうか。
ただ、いろいろ読んだり調べてみても、橋本氏にとって「価値観」が具体的に何を指すのかよく分からないのだ。「船中八策」というものは示したが、それは政策であって価値観ではない。依然「こういう社会が理想」というビジョンは全く伝わってこない。よく口にする「とにかく今の体制や意識を変える」というのが、彼の「価値観」だとことなのだろうか。でも、そんなもの大抵の人は持っているのではないか。それは「価値観」というより「感情」というべきものの気もする。
以前(7/10)に指摘したように、彼にとって「価値観が一致する」というのは「感情を一致する」という感じなのかもしれない。「感情の一致」は、「価値観の一致」よりも簡単だし、理屈も分かりやすい。でもそうだとすると、過去の歴史が示すように、感情主導で政治を行う場合の危惧は彼にあったりするのだろうか。
話は変わるが、先日、映画『かぞくのくに』を観た。日本に住む在日の家族と、北朝鮮に渡った息子を描いたとても良い作品だった。
その中で、主人公のソンホは、妹のリエに向かって、北朝鮮という国についてこんなセリフを吐く。
「決定は常にあの国では絶対」
「あの国に理由なんて何の意味もない」
「考えずにただ従うだけだ、考えると頭おかしくなる」
「考えるとしたらどう生き抜くか、だけ」
「あとは思考停止。楽だぞ~!思考停止」
家族より国が、個人の命より組織(國體)が優先される国。きっと個人が勝手に価値観を持つことなど許されず、国が持つ価値観の押し付けに従うだけ。個人と組織が価値観をすり合わせの作業など当然のごとく認められないのだろう。
以前(5/8)で紹介した立教大学総長の吉岡智哉さんが卒業式で語った言葉を思い出す。
「『考える』という営みは既存の社会が認める価値の前提や枠組み自体を疑うという点において、本質的に反時代的・反社会的行為です」
「反社会的行為」である以上、北朝鮮ではソンホが言うように「考えずにただ従うだけだ」ということになる
でも、この映画は日本社会にも突き刺さる。多様な価値観に不寛容になっているというのは、日本の企業でも同じこと。「利潤を追うことが良いこと」という価値観に突っ走り、それ以外の価値観を認めない。「儲かる部署は良い部署で、兼ねぬかかる部署は悪い部署」社員に従うことだけを求め、考えることを認めない。その時間は「無駄」とさえ言う。結局、大阪市で行われていることも同じことだと思う。
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