「鍋の特徴は、みんなが参加して作ることです」
何だかバタバタしている。そんな中、少しずつ、溜まった新聞や雑誌のコピーを読み進めている。
朝日新聞(9/14)で、「私たちは繋がり始めたのか」と題する特集記事で若手の批評家である濱野智史さんがインタビューに答えていた。
「価値観やライフスタイルが多様化している現代では、ひとつの思想の下に大勢が集うのはほぼ不可能です。ソーシャルメディアに媒介された運動は小さな環の集積だから、むしろリーダーがいない方が、主義主張の違いを超えて、多くの人々がひとつの場所に集まることができる」
「いま世の中を動かすために求められているのは、思想を唱え、人々を力強く導くリーダーシップではない。現に多くの人が集まるというフォロワーシップです」
「今の政治に欠けているのも、フォロワーシップですよ。リーダーシップがないからみんながついていかないんじゃなくて、みんながついていかないからリーダーシップになってないのです」
その一方で、例えば大阪の橋下市長をめぐる現象をみていると、依然「強いリーダー」の出現を求める社会の風潮は強いように思える。
その風潮について、活動家の湯浅誠さんは、著書『ヒーローを待っていても世界は変わらない』の中で、次のように述べている。
「台頭しているのが『強いリーダーシップ』待望論、『決断できる政治』への期待感でしょう。これは一言でいうと、利害調整の拒否という心性を表しています」 (P24)
「『強いリーダーシップ』を発揮してくれるヒーローを待ち望む心理は、きわめて面倒くさくて、うんざりして、そのうえ疲れる民主主義というシステムを、私たちが引き受けきれなくなってきている証ではないかと、私は感じています」 (P68)
前述した濱野さんがいう「価値観やライフスタイルが多様化している現代では、ひとつの思想の下に大勢が集うのはほぼ不可能」な世界。そんな世界での「強いリーダーシップ」とは、多様化する価値観とライフスタイルの間で発生する「利害調整を拒否」することでもある。すなわち「きわめて面倒くさくて、うんざりして、そのうえ疲れる民主主義というシステム」を放棄することになると湯浅さんは指摘しているのである。
「リーダーシップより、フォローシップ」という世界。社会学者の小熊英二さんが著書『世界を変えるには』に書いてある次のような感じに近いのではないだろうか。
「鍋の特徴は、みんなが参加して作ることです。そこで共同作業をやり、対話しているうちに、『われわれ』意識が生まれます。みんなで作るのですから、料理に失敗しても、誰も文句を言いません。また鍋のいいところは、不満が少ないだけではなく、コストが安いことです。
そこで幹事がやるべきことは、みんなが作る場を設定することです。ただし鍋は、あまり多人数では作れません」 (P68)
また濱野さんは、先の朝日新聞のインタビューで、現在の政治について次のように話している。
「要するに、楽しいことが少なすぎるんですよ。ルールやゴールが複雑でわかりづらく、誰もが手ごたえややりがいを感じられる仕組みになっていない。祭と政。『まつりごと』をもう一度取り戻すべきです。今の政治は、みんなで盛り上がって決めたという祭り性を失っている」
精神科医のきたやまおさむさんは、著書『帰れないヨッパライたちへ』で次のように書いている。
「政治家も官僚も経営者も、そして科学者までも、失言といった基本的なテストばかり受けさせられて、『あいつはこんなにくだらない失言をした』『こんな失態を見せた』という部分だけで揚げ足取り、足の引っ張り合いをされて、追及を受けてしまいます。そこで、決定的に忘れられているのは、その人がすぐれた内容を発言しているか、日本にとって大事なことを考えているかです。人物評価が日本や組織にとっていかにプラスになるかではなく、人前で失敗したか、保持すべきものを露出したかどうかでなされてしまうのです」 (P103)
複雑になりすぎて、マイナス面ばかり目を向けるから、政治の世界が楽しくなくなっているということになる。まあ政治の世界だけじゃないだろうけど。
まとめると、多様な価値観、ライフスタイルの中での利害調整が比較的しやすいシンプルな組織を作って、プラス面に目を向けながら、楽しい共同作業を続け、フォローシップを強化していくことが求められるということか。まさに「鍋」の世界である。
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