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2012年10月10日 (水)

「かろうじて記憶だけが今と昔をつないでいる」

コラムニストに、神足裕司さんという方がいる。しばらく仕事を一緒にしていたということもあり、一応の知り合いで、サッカーのワールドカップ日韓大会の時には、宮城県で行われた準々決勝の日本対トルコ戦を、2人で見に行ったりした。何度も一緒に飲んだ。その神足さんは、1年前、飛行機の中で、くも膜下出血で倒れた。手術・リハビリを経て、このたび、退院したという。まだリハビリ中なのだが、先週、TBSラジオ『水曜ウォンテッド』という番組で、パーソナリティのえのきどいちろうさんが、神足さんが書いた手紙を読みあげた。聴いていて、ジーンときた。

「たぶん僕は1年くらい前、病に倒れた。ICUに2カ月近くいて、もう助からないと言われたらしい。そのこともようやく最近、なんだか分かってきた感じだ。命が助かっても記憶は戻らないと言われたらしい。今はどうか。こうして書くことができること自体、すごいということらしいが、以前書きとめた文章を読むと、何だか意味不明なことを書いている。書いたことも憶えていない。情けないようなそんな気持ちだが、書いていることがその時思っていたことなんだろうとも思う。この手紙も、次に読んだとき、憶えているだろうか。妹の名前も思い出せない日もあるのに。こんな病の人も世の中にはたくさんいるだろう。もしラジオで聴いていたら、どんな感じか僕に教えてほしい」

この手紙を聴いて、僕は「記憶」について考えた。記憶を失うというのはどういう感じなのだろう。そして「憶えていないかも」と思いながら、生活する感じはどういうものなのか。そんなことを考えながら、週末、本を読んでいたら、記憶についての記述があったので、それを書いておきたい。

まずは、生物学者の福岡伸一さん『生命と記憶のパラドクス』から。

「今の私は、昔の私とは物質的にはすっかり別人になっている。けれどもかろうじて記憶だけが今と昔をつないでいる。自己同一性のよすがはこの儚い記憶だけなのだ」(P47)

「年を経るにつれ私たちは様々なものを次々と失っていく。夢、希望、可能性・・・。それが大人になるということ。しかし私から決して奪われることがないもの。それは私の記憶」(P149)

そして、ジョン・アーヴィング『オーエンのために祈りを』(上巻)から。

「記憶というのはおそろしいものだ。こっちは忘れても、記憶のほうで忘れてくれない。記憶はいろいろなことをきちんと整理して保管しておくのだ。保存しておいてくれる、あるいは隠しておいてくれる-そしてむこうの意思でそれらを呼び出し記憶を甦らせる。われわれは記憶を持っているつもりでいるが、記憶がこちらを持っているのだ!」 (P70)

例えば音楽を聴いたりしていると、いろんな記憶が甦ってくる。本を読んでいたり、映画を見ていてもそう。街を歩いていて、過去の悪い記憶が襲ってくることもある。先日、会社時代の同期たちとお酒を飲んだ時にも、それぞれの記憶をもとにくだらない話は膨らみ続けた。たぶん我々は、記憶とともに生活しているのだろう。福岡さんが言うように、生きることと記憶は切り離すことができないものなんだろう。

でも本来、奪われるこのない記憶が。いつか元気になった神足さんといろんな思い出話をしながら、楽しく飲みたい。

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