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2012年11月 1日 (木)

「この新しい時代には、『バラバラな人間が、価値観はバラバラなままで、どうにかしてうまくやっていく能力』が求められている」

前回(10/18)のブログでは、これからは「強いリーダーシップより、フォローシップ」が必要になるのではないか、ということを社会学者の小熊英二さんの「鍋の世界」の話を引用しながら紹介した。

今週、劇作家の平田オリザさんの新刊『わかりあえないことから』を読んでいたら、同じようなことが書かれていたので紹介したい。


「開き直って、私は政治家は小粒でもいいのではないかと思う」


「他方、政治家に強いリーダーシップを求める声が根強いことも承知はしている。2012年の大阪府知事・市長選の選挙結果はまさにそのあらわれだろう。強いリーダーシップが、私たちを本当に、未来永劫幸せにしてくれるのなら、それもいい。しかし、そこには当然リスクもあるだろう。しかもそれは、原発事故並みに取り返しのつかに大きなリスクだ」

「民主主義が権力の暴走を止めるためのシステムだとするなら、小粒かもしれないが、市民一人ひとりとの『対話』を重視する政治家を生みだす小選挙区制というシステムは、成熟社会にとっては、存外悪い制度ではない。熱しやすく冷めやすい民族の特性を考えるなら、議院内閣制もまた、さして悪い制度だとは思えない」  (P126)


いろいろ批判の多い「小選挙区」について、平田さんは、「対話」を繰り返す、あたかも「鍋の世界」のようにしていけばメリットも大きいと説く。社会学者の宮台真司さんが実施している「コンセンサス会議」というのも、これに近い考え方なんだと思う。


また平田さんは、「対話」と「強いリーダー」との関係について、次のようにも書いている。


「冗長性が高く、面倒で、時間のかかる『対話』の言葉の生成は、当然のように置き去りにされた。強いリーダーシップを持った犠牲者にとっては、『対話』は無駄であり、また脅威でさえあるからだ」


「そうして強い国家、強い軍隊はできたかもしれないが、その結果、異なる価値観や文化を摺りあわせる知的体力が国民の間に醸成されることはなく、やがてそれがファシズムの台頭を招いた」 
(P128)
 


これについては、以前(7/10)のブログでも書いている。また、そのあとのブログ(9/11)では、橋本市長が好む「価値観の一致」という言葉に違和感を持つと書いたが、まさに、「価値観の一致」を急ぐと、それがファシズムが台頭する土壌を促すということなのだろう。その「価値観の一致」について、平田さんは今回の著書で次のようにも書いている。


「日本人に要求されているコミュニケーション能力の質が、いま、大きく変わりつつあるのだと思う。いままでは、遠くで誰かが決めていることを何となく理解する能力、空気を読むといった能力、あるいは集団論でいえば、『心を一つに』『一致団結』といった『価値観をひとつにする方向のコミュニケーション能力』が求められてきた」


しかし、もう日本人はバラバラなのだ。さらに、日本のこの狭い国に住むのは、決して日本文化を前提とした人びとだけではない。だから、この新しい時代には、『バラバラな人間が、価値観はバラバラなままで、どうにかしてうまくやっていく能力』が求められている。私はこれを、『協調性から社交性へ』と呼んできた」

 これからは、「価値観を一致」させることよりも、「バラバラな価値観」を持つ人たちがそれでもうまくやっていく能力が必要になっていく。まさに「鍋の世界」なんだと思う。

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