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2012年12月25日 (火)

「移動費がネックになっている。移動を起こしにくい社会構造になっている」

前回のブログ(12/22)では、色んな大人の事情によってコストがかさんだ結果、気が付いたらチケット代が高価なものとなり、結局、それが観客数減の一因になっているのではないか、という話を書いた。

実は関連しているのではないのか、と連想したことがある。かつて自分がいた職場で、同僚が「お金がない」と口にするのをたまに聞いたりする。彼らもそれなりの給料をもらっていたはずだし、単純に考えて、そんなことはないのでは、と思ったものだ。よくよく聞いてみると、そういう人たちは、住宅ローンを抱え、子供は私立の学校なんかに通い、さらに塾にも通い、そして車の維持費やら生命保険の支払いやら何やらで、毎月、かなり「ランニングコスト」を抱えた生活をしているようである。その結果、家族旅行を我慢したり、わずかな小遣いで我慢したりしている。自分たちで「自由」に使えるお金は殆どない状態なのである。ボクも含めて、日本のサラリーマンなんて、「まるでランニングコストのために働いているようだ」と思ったりしていたものだ。

全く同じような指摘が、建築家・坂口恭平さんの著書『独立国家のつくりかた』に書いてあった。

「35年ローンを組んで、大きな借金を背負って、おかげで働きゃいけなくて、それによって会社、銀行がちゃんと運営できて、『万歳、経済発展!』というのはどこかおかしいような気がする。そんな単純な話じゃないんだよと人は僕にいうのだが、ではどのような複雑なシステムなんですかと聞いても、誰も答えてくれない。つまり、わかっていないのだ。 

 わからないことは、考えて答えを出さなくてはいけない。簡単なことだ。もっと物事を単純に考える癖を身につけよう。そうしないと社会の複雑さには対応できない」 (P31)

サラリーマンが、自分たちのランニングコストのために日々、働き、そのコストによって、社会が回っている。そんな今の社会のシステムについて、坂口さんは批判をしているのである。その結果、我々が失ったものは何なのか。 

多くのランニングコストを抱えたサラリーマンは、仮に会社の方針とぶつかったりしても、当然、会社を辞めるという選択肢などごくごく小さいものになるに違いない。日々のローンや子供の学費が払えなくなる。同様に、多くのランニングコストを抱えた社会は、その数多くの既得権者のため、その社会のスタイルを容易に変えることはできなくなる。まさに原発依存から抜けられない問題の構図が、そうである。 

坂口さんは、こんな指摘もしている。

「この国は移動費が高い。新幹線なんて馬鹿みたいな値段がするし、飛行機のチケットも国内で乗るよりも海外に行ったほうが安い。移動費がネックになっている。移動を起こしにくい社会構造になっている。僕はこれも今の社会の日本の労働環境とリンクしているように感じる」 (P206) 

本当にそう思う。新幹線だけでない、JRや地方の私鉄の運賃の高さに驚くことは多い。ボクノ知り合いは、ゆりかもめの運賃に降参してお台場から再引っ越しをした。鉄道以外でも、ガソリン代も高速料金も日本は以上に高いと思う。そうやって、国内の移動費が高くなっている結果、我々は、移動さえ、「自由」にできない社会で生活していることになっている。これは、野球少年たちが、気軽にプロ野球を観に行く「自由」がないのと通じる。 

我々は、実は、かなり「自由」のない社会に生きてしまっているのではないか。 

確かに、デフレによって安い物は安い。しかし鉄道の運賃、ガソリンの価格、高速道路代、電気代、家賃、映画の入場料、コンサートやスポーツ観戦のチケット代など、国際的にみても日本では割高というものはたくさんある。安部政権になって、インフレ目標導入した場合、これらも更に値上がりしてしまうのだろうか。 

いつの間にか、ボクたち自身や、社会そのものをガンジガラメにしている「ランニングコスト」。もう一度、それによって失っているものにも目を向ける必要があると思う。 

ランニングコストが少ない社会とは、どういう社会なのか。作家の高橋源一郎さんは、内田樹さんとの対談集『どんどん沈む日本をそれでも愛せますか?』で、訪れた山口県の祝島について、次のように語っていた。 

「結局、何にお金がかかるっていったら、医療とか、そういうこと。それにはあんまりお金がかかんないだよ。祝島では。お金がかかるシステムにしているから、貧困はまずいってことになる。だったら、お金がかからないシステムをつくった方が合理的だっていう話になるでしょ?そういう意味では祝島の人たち、極めて合理的なんだよね。だから、知恵がある、っていうこと」 (P241) 

祝島では、原発反対運動によって、地域コミュニティーをはぐくんだ結果、医療費などがかからなくなり、その結果、例え「貧困」であってでも「自由」に生活できる環境があるというのだ。これが示唆することは大きい。都会のサラリーマンは、全くの反対を行っている。将来の「貧困」を恐れ、ますます「ランニングコスト」がかかる生活を強い、結果、「自由」を失う。きっと、そんな生活は「合理的」ではないのである。

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