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2013年2月 5日 (火)

「無駄のない社会は病んだ社会である」

1月28日のブログで、高橋秀実さん『弱くても勝てます』で紹介していた開成高校野球部の青木監督の以下のコメントを紹介した。

「『野球はやってもやらなくてもいいこと。はっきり言えばムダなんです』
 
 『とかく今の学校教育はムダをさせないで、役に立つことだけをやらせようとする。野球も役に立つということにしたいんですね。でも果たして何が子供たちの役に立つか立たないのかなんて我々にもわからないじゃないですか。社会人になればムダなことなんてできません。今こそムダなことがいっぱいできる時期なんです』」 (P87)

野球は所詮、無駄なもの。だからこそ、高校生の時期に幅を広げるためにも経験するべき、というコメントである。雑誌『OUTWARD』12月号を読んでいたら、宮城県栗原市にある、くりこま高原自然学校の代表・佐々木豊志さんの言葉が載っていた。「教育」と「無駄」との関係について、開成高校の青木監督と同じことを指摘していると思う。

「確かに体験させるというのは時間がかかります。子どもが失敗を繰り返しながら体験しないといけませんから。でも、いまは学校教育も家庭も含めて社会全体に子どもとじっくり向き合う余裕がない。物事をあまりに深く追求することがなくなってきたので、農業とか林業など早く答えがでないものに対するイメージがますます欠落していくのではないかと危惧しています」
 

ということで、今回は「無駄」にまつわるフレーズを並べてみたい。「無駄」についての言及の裏には、必ず「効率化」が付いて回っているのが興味深い。

まずは、棋士の羽生善治さん。著書『直観力』で次のように語っている。 

「無駄を排除して高効率を求めたとしても、リスクを誘発する可能性がゼロにはならない。むしろ、即効性を求めた手法が知らず知らずのうちに大きなリスクを増幅させているケースもある。無駄と思えるランダムな試みを取り入れることによって『過ぎたるは猶及ばざるがごとし』を回避できるのではないかと考えている」 (P41)

東京大学の経済学者、玄田有史さん東京新聞(1月1日)の倉本聰さんとの対談で、次のように語っていた。 

「世の中に『遊び』みないなものも減ってきている気がする。効率は大事だが、大切な無駄もあるような気がする。『遊び』は意味があるかないか分からないから遊びなのです。その中でふと出会うものが『希望』のような気がする」

開成高校の青木監督は「役に立つか立たないか分からない」と語っているように、玄田さんは「意味があるかないか分からない」と語る。その中で出会うものが「希望」という指摘は面白い。

ノンフィクション作家の柳田邦男さんは、東日本大震災をめぐる原発事故を受けて、『<3・11>忘却に抗して』で次の言葉を語っている。ただ、このフレーズは、そのまま子供への教育にも当てはまるのではないか。

「効率化という目標の前では『前提条件がもし崩れたら』という発想は排除され、次善の策も『ありえないこと』として削られる。それでは災害は防げない。どんな組織・システムも遊びや余剰部分があってこそ安全を保てるのです」 (P30)

効率化を追い求め過ぎて、無駄なもの、すなわち遊びが減っている社会。却って余分なリスクやコストを招き入れ、その裏で大切なものを失っている。


ここで改めて、1月28日のブログでも紹介した平田オリザさんの言葉を載せておく。著書『芸術立国論』から。

「芸術家は、基本的にはいつもブラブラしているように見え、経済生活の表層にとっては無駄な存在だろう。しかし、それは同時に、共同体にとって、どうしても必要不可欠な存在なのだ。無駄のない社会は病んだ社会である。すなわち、芸術家のいない社会は病んだ社会だ」 (P43)


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