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2013年3月22日 (金)

「とくに日本人はその傾向が強くて、勝手にいろんな標識を立ててしまうわけです」

このブログでは、何度も取り上げているが、ピーター・バラカンさん「この国は、ルールを決めておけば、絶対にそこから外れないというところがあります」(2012年6月20日のブログ)など、ついつい決められたルールに拘泥してしまう日本の体質に関する言葉を紹介してきた。(2013年3月7日のブログなど)。

昨夜、作家の森達也さんとジャーナリストの上杉隆さんによる対談をまとめた『誰がこの国を壊すのか』という本を非常に興味深く読んだ。その中で、上記の「ルールに拘泥してしまう体質」にまつわる話があったので紹介してみたい。森達也さんは、かつてテレビの世界での経験を次のように語っている。

「テレビ時代に『放送禁止歌』というドキュメンタリーを作りました。誰もが放送禁止かというカテゴリーがメディア内には存在していると思い込んでいた。メディアだけじゃなくて、ミュージシャン、レコード会社、音楽業界も含めて、この社会全域といってもいいかもしれない。ところが調べてみたら、そんな規制などどこにもない。つまり自主規制と同時に、規制の主体が自分たちであることを放送業界の人たちが忘れていた」

「極めて日本的な現象だと思います。なぜ放送禁止歌ができるか、なぜこの歌は放送してはならないという標識が立てられるのか。標識がないと人々が不安になるからです。ここから先は立ち入り禁止ですよ、ここから先は足を踏み入れてはなりませんよ-そういうサインがあってはじめて、人は『ではこちら側は安全なんだ』と安心できる」
 (P112)
 

非常に興味深いコメントだと思う。誰もが絶対的な「ルール」だと思っていた「放送禁止歌」という規制。しかし、これは、「自主規制」でしかなく、「規制の主体が自分たちである」という。「とりあえずのルール」でしかなかったのだ。それを、森さんは「標識」と表現する。なるほどと深く肯いてしまう。 

さらに森さんは、次のように語っている。

「とくに日本人はその傾向が強くて、勝手にいろんな標識を立ててしまうわけです。そして自分たちで立てたにもかかわらず、それが何か一般意思のようなものが立てたと思い込んでしまう。自律を他律とすり替えてしまうわけです。つまり共同幻想です」 (P113)
 

「自律」と「他律」。はじめ自分たちの意思で、目安としての「標識」を立てる。いつの間にか、それを「絶対」のものとして、そこに「他律」、すなわち「外部規律」として依存する。これは、ピーター・バラカンさんらの指摘と全く重なってくる。 

さらに、その「外部規律」(前回のブログなど)については、メディアの世界も例外ではない。ジャーナリストの上杉隆さんも興味深い経験談を語っている。出演していた北海道文化放送の番組『U型テレビ』で、ある殺人事件で浮上していた容疑者についてのことである。 

「自分たちの取材を信じて出すのなら今出しなさい。出さないなら匿名報道にしなさいとアドバイスしたんですけど、結局、僕のその意見は無視されてしまいました。だたいま警察が発表しましたとなったら、その瞬間から実名とか彼の映像とかがダーッと出るわけです。 『U型』はもっともマシな番組だと思います。だが、そこですら『私たちはすでに逮捕前から彼の映像を取っていました』とかナレーションが語る。これはテレビだけではありません。日本の記者たちって、そういう権力依存体質が染み付いてしまっていて、自己判断能力を失ってしまっているのです。これはもう根が深すぎて、また絶望という言葉を使ってしまいます」 (P195) 

「原発問題の報道でもそうです。昨年3月14日くらいまでは、各メディアも『メルトダウン』『炉心溶融』という言葉を使っていました。それが枝野幸男官房長官が「燃料棒の一部損壊で、炉心溶融はしていない」と発表したとたん、『一部損壊』で統一されてしまった。自分達の取材より政府発表を信じるわけです」 (P84) 

上杉さんが指摘する記者クラブ体質では、判断基準や規律を「外部」すなわち「権力」に依存してしまう事例のオンパレードである。

便宜上、暫定的に設けた標識、目安、方便が、やがて絶対的なシステムとなり、それに依存してしまう我々をがんじがらめにする。本当に日本の至るところで起きていることなのだろう。上杉さんの「これはもう根が深すぎて、また絶望という言葉を使ってしまいます」というセリフが痛々しく体にしみこんでくる。

作家の阿部和重さんの次の言葉をもう一度、問いかけたい。(2012年9月3日のブログ)


「社会を成立させ円滑にするため、人はルールを決め従っている。生活習慣でも憲法でも。でも、信じているものがなくても生きられないわけではない。人間が作ったルールはすべて暫定的なものだと強調したかった」


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