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2013年3月 6日 (水)

「指導者に求められるのは『厳しく接する』ことではなく、『厳しさを教える』ことなのだ」

気が付いたら、あっという間に3月に。ずっと「体罰」のことばかり考えているわけではないんだけど、せっかくなので、この間に「体罰」について印象に残った言葉を並べておく。

まずは、日本体育大学の学長、谷釜了正さんが、日体大学で行ったという「反体罰宣言」について語った言葉から。朝日新聞(3月1日)から。

「熱心さが余って体罰に及んでしまったケースもないわけではないと思います。無論、熱心だから許されるのものではなく、どんな場合でもそうした行為に及んではならないと自ら律しなければなりません。そのことを私も含めて指導者が再認識するために宣言したものです」

この「反体罰宣言」、どこまで実行力を伴うか。疑念も大きいが、一応、期待したい。

次は、評論家の斎藤美奈子さんが、毎日新聞夕刊(2月14日)の 『甘い社会が見過ごす暴力』と題した文章で書いていた言葉。

「体罰はなべて暴力で『良い体罰と悪い体罰』があるわけじゃない」

作家の高村薫さんが、東京新聞夕刊(2月19日)で書いていた言葉。

「『必要な体罰もある』という日本社会特有の精神論の内実は、暴力を受ける側の思考停止と服従だけであり、それを規律や結束と言い換えて来たのは集団における権力側の詭弁にすぎない」

女子柔道選手で、フランスでコーチをしていたという溝口紀子さんは、フランスでの指導の仕方について次のように語っている。(読売新聞2月16日)

「一対一で正座し、目を見ながら時に2時間も、選手の言うことに耳を傾ける。殴ったり『稽古をつける』方が早いかもしれないが、相手を受け止め、練習の理由をきちんと伝え、納得してもらうことが選手の成長にも必要と考えた」

ネットの放送局「ビデオニュース・ドットコム」では、『だから日本のスポーツは遅れている』 (2月15日)と題して、政治学者の萱野稔人さんと、スポーツ評論家の玉木正之さんが対談。その中で、萱野稔人さんは、自分のスポーツ経験で感じたことを次のように語っている。

「近所で遊んでいた近所の友達が先輩になっていて、決定的に作法を教わるわけですよ。先輩には挨拶をしないといけないとか。練習でも何かやると、出しゃばった真似するなとか。とにかく委縮することを徹底的に教わるんですよ。日本のスポーツの指導の一つは、委縮をたたき込もうとすること。体罰もそうだと思う」

これに対して、玉木正之さんは、次のように話す。

「スポーツっていうのはそもそも反社会的なものなんですよ。根本的に。実力主義、年上も年下も関係ないというのは一般社会の長幼の序も否定するということ。でも日本は長幼の序をスポーツの中に入れてしまう。より強固な長幼の序をつくることに走った」


最後に、プロ野球の権藤博さんの言葉を紹介したい。著書『教えない教え』の中のもの。

「厳しさとは、『この世界で生きていくことはこういう練習をして、それに耐えていかなければいけませんよ』と教えること。指導者に求められるのは『厳しく接する』ことではなく、『厳しさを教える』ことなのだ」  (P19)


別に、体罰や怒鳴りつけたりしなくても、厳しさを教えることはできる。それと当然のことだけど、厳しさを教えるのと同時に、楽しさを奪ってもいけないのである。

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