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2013年3月21日 (木)

「究極の状況下で、自らが考えて判断を下す『自己決定力』。その力を備えていない限り、世界で通用するサッカー選手になることはできない」

そろそろ他の言葉についても並べてみたいと思いつつ、「外部規律依存の体質」にまつわるような言葉を見つけると立ち止り、うろうろ考えてしまう。しばらくは、仕方ないか・・・。

今週、今や日本サッカー協会の副会長である田嶋幸三さんの書いた著書『「言語技術」が日本のサッカーを変える』を読んでいたら、興味深い話や言葉が語られていたので、それを紹介したい。 

まず、興味を引かれたのが、2006年ワールドカップのドイツ大会での話。ボクもこの大会は、取材で11試合を観ることができた。この準決勝の、イタリア対ドイツ戦のこと。イタリアチームは、選手1人退場となった時でも、ピッチにいる選手は誰もベンチを見なかったというのである。田嶋さんは、次のように書いている。

ピッチの選手が、『ベンチを見ない』。そのことは、いったい何を示しているのでしょうか?サッカーにとって、どれくらい重要な意味があるのでしょうか?
 
イタリアのメンバーたちは、選手が1人欠けてしまったという場面に遭遇しても、自分たちで判断し難問を解決していく力を持っていました。そうした能力をしっかりと養ってきたからこそ、彼らはベンチに対して『指示を求めなかった』のです。つまり、『ベンチを見ない』ということは、ピッチ上で発生した出来事をどう処理していくのか、そのために分析力と判断力を発揮して、決定する『力』を持っていたということの『証』でした。 
 
究極の状況下で、自らが考えて判断を下す『自己決定力』。その力を備えていない限り、世界で通用するサッカー選手になることはできない、という事実を明確に示している-そうした出来事だと、私には思えたのでした」 (P8)
 

これに対して日本選手の特徴はどうなのか。U-17日本代表監督のときの経験を引き合いにして、次のように書いている。 

「15~16歳の選手の場合、ゲームを止めると、次にどうするかと思いますか?
 
黙って私の目を見ることが実に多いのです。その表情は、私の言おうとしている答えを探し出そうとしているようにしか見えません。自分自身で答えを探すことよりも、私の解答を求める様子がありありと見えるのです」 (P11)
 

自ら考えて判断する「自己決定力」ならぬ、ここでも反射的に、監督という「外部」に依存してしまう体質があるという。 

「ダメになる選手の典型は、小・中・高の時にずっと、『お前ら負けたら走らすぞ』と指導者におどされて、『監督が怒るから勝たなければ』『負けたら練習がきつくなる』と、それこそ悪い意味でのオートマチゼーションで刷り込まれているタイプです。そうした選手は、本当の勝負の時に力が出せない。いわゆる外的な動機付けで試合に臨んでいるからです」 (P196) 

外的な動機付け。ん~。本当に、本当に根が深い「体質」である。さらにドイツでの指導経験と比べながら、次のように考察している。

「それではなぜ、日本の子どもたちは黙ってしまうのでしょうか?監督の目を見て、指示を待っているのでしょうか?ドイツの子どもたちと、どこが違うのでしょう?
 
ミスはミスでいいのです。ミスは、必ず起こることだし、減らしていくために確認し練習するものだからです。その時は、『いやあ、僕は本当はそこにパスを出したかったんだけれど、名前を呼ばれたからこっちに出したんです、だからミスになってしまったんです』というふうに。そのようにミスの理由や原因を、ハッキリとことばでいってくれればいいわけです。ところが、日本の子どもたちはそうした表現が苦手です」

「ドイツと日本の練習風景を比べてみたとき、まずはっきりとした違いとして私の目に映ったのは、『自分の考えをことばにする表現力』でした」 (P12)
 

「海外で活躍しているスポーツ選手を見てください。日本にいた頃は、自分の意見を強く持っていて、下手したら生意気を言われてきた人も多いのではないか。サッカーだけではありません。メジャーリーグへ行った野茂英雄も、イチローも、自分の意見や方法をはっきりと持ち、制度的なものになじまないという意味で、日本ではアウトロー的な選手だった。
 
中田英寿も、自分の意見や主張をはっきりと持ち、言語化していた。海外で通用することばを持っていたのです。日本では『出る杭は打たれる』などと言いますが、海外へ行けば、自分の考えを持っていない選手、語らない選手なんて存在感ゼロ」 (P166)
 


自分で考え、判断した結果のことを、自分の言葉で語った場合には、「アウトロー的な存在」になってしまう。これが日本だったりもする。やれやれ。

ただ世界のサッカーと肩を並べていくためには、そんな体質ではダメなわけである。自分で考え判断する「自己決定力」と、それを言葉にして相手に伝える能力である「言語技術」。これを指導者たちや、若い世代に身につけさせるために、田嶋さんは「アカデミー」を整備し、そこからサッカーの底上げを図ろうとしたという。

当然ながら、こうしたことが不可欠なのは、サッカー界だけのことではないはず。ふむふむ。いろいろなことを示唆している
本だと思う。

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