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2013年3月 7日 (木)

「『ルールを守ろう』じゃなくて、『ルールを作ろう』『ルールを変えよう』というのがスポーツマンなんですよ」

これまで「ルール」に拘泥してしまう日本社会に体質について、いろいろな言葉を紹介してきた。

例えば、2012年6月20日のブログでは、ピーター・バラカンさんが東日本大震災のときに感じた次の言葉を紹介している。

「この国は、ルールを決めておけば、絶対にそこから外れないというところがあります」

2012年10月3日のブログでは、ニューヨーク・タイムズ東京支局長のマーティン・ファクラーさんが、著書『「本当のこと」を伝えない日本の新聞』で書いていた次の言葉を掲載した。東日本大震災の直後、被災地で感じたことである。

「震災という非常事態なのだから、ルールを多少破ったとしても臨機応変に対応するべきではないか」 (P35) 

そして、さらに先、2011年11月22日のブログでは、こうした体質に対する作家の奥田英朗さんの言葉。著書『どちらとも言えません』から。

「つまりルールは必要なときに適用すればいいのであって、あとはフレキシブルに対応すればいいじゃないかという考えなのだ」

それと、脳学者の養老孟司さんの次の言葉を紹介した。

「自分の目で見て、自分の頭で考えて、ルールを曲げる。そういう感覚をもう日本人はなくしているでしょう、でも『生きている』ってそういうことじゃないですかね」

以上。「ルール」を巡るフレーズを改めて並べてみた。

先日、ネット放送局の「ビデオニュース・ドットコム」の『だから日本のスポーツは遅れている』(2月16日)を聴いていたら、スポーツ評論家の玉木正之さんは、スポーツの世界でも、日本には同じような問題が存在することを指摘している。

「スポーツの規律、および規則を作ったのは誰かというと、自分たちなんですよね。その認識が日本では欠けていて、輸入もんだから。最初から権威に従うという。春秋の交通安全週間というのがあるじゃないですか。スポーツマンがポスターに出てきて『ルールを守ろう』って出すわけですよ。これは『ルールを守ろう』じゃなくて、『ルールを作ろう』『ルールを変えよう』というのがスポーツマンなんですよ」

よくよく考えてみれば、国際的には、スポーツのルールや規則なんてものは、よく変更されていたりする。スポーツそのものを巡る状況や環境が変われば、それにルールも合わせる。現状に合ったルールがなぜ必要なのか。政治学者の萱野稔人さんは、同じ番組で玉木さん相手に次のように語っている。

「スポーツの本質は、何かと言うと、ルールに従うことなんですよ。ルールに従うことによって、身体の暴力性をどうコントロールできるか、というのが元々の人類とスポーツとを考えたときの本質だと思う」


スポーツとは、身体をルールに従うようにコントロールすること。そのためには、ルールを現状に合わせておく必要がある。ということになる。

これは、スポーツの世界だけではなく、一般社会にも当然当てはまるはず。弁護士の郷原信郎さんは、著書『思考停止社会』で次のように書いている。

「近年、高度情報化の進展に伴い、社会の隅々にまで様々な情報が提供されることによって、ますます社会は多様化しています。しかも、社会の変化の速度は急激に高まっています。社会が多様になればなるほど、そして、変化が激しくなればなるほど、社会事象と法令の内容との間に乖離が生じやすくなります。

それだけに、ある時点での一定の範囲の社会事象を前提に定められた法令は、すべて社会事象に適合するものではありませんし、社会の変化に伴って、現実に発生する社会事象との間でギャップが生じています」 (P187)

社会生活を営むためのルール、すなわち法律も、ほっておけばズレが生じてくるのである。そして、次のように語る。

「明治以来日本人が百数年以上も続けてきた法令に対する『遵守』の姿勢はなかなか変わりません。法令を目にすると、ただただ拝む、ひれ伏す、そのまま守るという姿勢のために、法令を『遵守』することが目的化し、なぜそれを守らなければならないのかを考えることを諦めてしまうという『思考停止』をもらたらしているのです」 (P191)

ルールや法令を前にして、何の疑いもなくひれ伏す。そして、そのルールや法令がズレたものだったとしても、それを破った場合に下される厳しい罰則を黙って受け入れる。これは日本社会の「体質」というか、もう「病」とも言える症状なのかもしれない。案外、体罰の問題も、ここに根っこはあるのではないかと思う。

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