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2013年3月27日 (水)

「その国とか権力というのは時に暴走したり、過ちを犯す。だから憲法で縛る、というのが立憲主義の本質なんですけどね」

しばらくのあいだ、体罰問題から始まって、外部規律依存という体質にまつわる言葉の紹介が続いていた。しかし今回は、「憲法」をめぐる言葉を紹介してみたい。

一票の格差訴訟で、「憲法」に注目が集まっている。一方で、自民党がつくった改憲草案というものもある。3月11日のブログでは、社会学者の宮台真司さんによる「人権内在説」と「人権外在説」との違いの説明を紹介した。これは、自民党の改憲草案に対して述べたもので、再び「人権外在説」の方へ舵を戻そうとしていると宮台さんは批判している。 

その自民党が作った改憲草案について、東京新聞(3月2日)が特集を組んでいた。その記事の中で、伊藤塾塾長の伊藤真さんは、憲法について改めて、次のように語っている。 

「立憲主義とは、憲法で国家権力縛ること。多くの人が勘違いをしているようだが、憲法は国民の権利を制限するものではないし、法律の親分でもない」 

「草案はその立憲主義とは逆向きで、国民の権利を後退させ、義務を拡大させている。自民党の改憲草案は、人権を保護するための立憲主義を否定している」 

さらに伊藤さんは、TBSラジオ『DIG』(3月21日)の中で、自民党改憲案について次のように語っている。

「本来憲法は、繰り返しますが、国民が人権を守るために国をしばるための道具。それがまったく逆転し、国家が国民を支配し、コントロールするための道具のように実はなってしまったところがある」

「立憲主義の本質を骨抜きにしようという意図ははっきりあるように思える。ですから憲法を、国民をコントロールするための、国の側が国民を、支配というと言葉がきついかもしれませんけど、国が思うような国作りをしたい、そのためには国民にいろいろ従ってください、協力してください。私たち政治家が良い国をつくりますから、国民の皆さん、それに従ってください。この憲法に書いた義務はちゃんと守って、いっしょに良い国をつくりましょう。という発想なんです。国や権力は国民のお友達、仲間です、という発想が根底にある。もちろん、そういう面もないわけじゃないんですが、その国とか権力というのは時に暴走したり、過ちを犯す。だから憲法で縛る、というのが立憲主義の本質なんですけどね。そこを曖昧にしてしまうと、やっぱりまずいだろうなと思う」
 

その自民党の改憲草案で、焦点の一つとなっているのが「96条」。憲法改正には、衆参両院で総議員の3分の2以上の賛成で国会が発議し、国民の承認を得る必要があるが、この規定を「3分の2」から「過半数」に緩和しようとしている。これには、日本維新の会も同意しているもよう。 

維新の会の代表、橋下徹氏は、 『96条改正』について次のように語っている。読売新聞(2月28日)より。

「実行するために何が必要かと言うと、まず中身よりも、実行するための装置をきちんと作らないといけない。実行できない環境の中で、議論したって、コメンテーターのような無責任な議論に終わってしまう」 

「もう右肩上がりは望めない利害関係が複雑化した現代社会においては、政治の重要な役割は利害調整ではなく、決定することです」 

彼が言う、「決定すること」とは、「切り捨てること」と同義なのだろう。 

東大の政治学者、森政稔さんは、そう考える政治家が増えていることについて次のように指摘している。朝日新聞(2012年12月18日)より。 

「『選挙で勝てば民意は自分にあるから何でもできる』というようなかなり粗野な民主主義理解を一般化させてしまったことには、政治改革を推進した学者にも責任があると思います」 

学者ではないが、弁護士でもある伊藤真さんは、TBSラジオ『DIG』で、「選挙に勝てば民意は自分にあるから何でもできる」というような状況、多数決での決定によって、少数を切り捨てざるをえない民主主義の性質について、次のように語っている。 

「ときに民主主義と立憲主義はぶつかりあって緊張関係にあるもの。民主主義だからいいじゃないというわけにはいかない。例え民主主義に基づく私たちが決めた政治でも、多数者による政治でも、守らなくてはいけないこと、やってはいけないことある。ということで歯止めをかけるのが立憲民主主義なんです。ところが、政治家でも『民主主義は大切だ』という人はいっぱいいる。政党の名前でも『民主』がついた政党はいっぱいありますよね。『立憲主義が大切だ』という政治家はほとんどいないし、戦後、『立憲』がついた大きな政党はひとつもない」 

ナチスドイツ、戦前の日本政府、そして最近では、大量破壊兵器によるイラク戦争などなど。歴史上、多数派が間違えることはたくさんある。当たり前のことである。特に、前回のブログ(3月26日)で書いたように、日本社会は「忖度文化」がしみこんでいて、一律に流されやすい体質を持っている。そうした多数による暴走を防ぐためにあるのが憲法。この際、伊藤さんの説く「立憲主義の必要性」を改めて考えてみる必要はあると思う。 


 

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