「国家と国民は同じ声を持つ必要はないし、そんなギムもない」
前回のブログ(3月27日)では、自民党改憲草案についての言葉を並べてみた。その草案について、伊藤真さんは「国家が国民を支配し、コントロールするための道具のように実はなってしまったところがある」と評していた。そこで、今回のブログでは、最近、みつけた「国」や「国民」というものをめぐる言葉を紹介してみたい。
まずは、ものすごく違和感をもった言葉から。毎日新聞夕刊(1月4日)で、近藤勝重さんが紹介していた自民党政務調査会長の高市早苗氏の次の言葉である。
「国家は国民と一体でしょ」
きっと彼女のことだから、何の迷いもなく発言したのだと思う。でも、本当にそうなんだろうか。
少し前だけど、作家の高橋源一郎さんが 朝日新聞(2012年8月30日)の『論壇時評』で次のように書いていた。
「国家と国民は同じ声を持つ必要はないし、そんなギムもない。誰でも『国民』である前に『人間』なのだ。そして『人間』はみな違う考えを持っている。同じ考えを持つものしか『国民』になれない国は『ロボットの国』(ロボットに失礼だが)だけだ―というのが、ぼくにとっての『ふつう』の感覚だ」
そして、毎日新聞(3月22日)の『イマジン』という連載には、『国にだまされない』という文章が載っていた。その中で、福島第1原発に近い養鶏業を営む、63歳の風見正博さんが次のように話している。
「国が何とかしてくれるって思うのが間違い。期待なんかしちゃいけないんだ」
「国や東京電力にだまされたなんて言う人がいるけど、信用している方が悪い」
そして、その日の『イマジン』の記事は、次の言葉で終わっていた。
「震災後の2年間、政府や政治家の姿をわたしたちは目にしてきた。未来への行路をすべて国にまかせていいのだろうか」
長野県泰阜村の村長、松島貞治さんは、毎日新聞(1月13日)で次のように語っている。
「国策は必ずしも国民を幸せにしない。自分たちの幸せは自分たちで守るしかない」
長野の泰阜村というのは、かつて田中康夫さんが長野県知事時代に住民票を置いたりしていて、注目したことがある。この村では、国から押し付けられる一律の政策に従うだけでなく、独自に高齢者問題に対処している自治体である。
続いて、写真家の藤原新也さん。『原発、いのち、日本人』から。
「戦争というのは国家間で争われるんだけど、これは国家を守るためにやったわけで、国民を救うためにやったんじゃない。そこを誤解しちゃまずい。国家ってそういうものなんだ。国家は国民のためにあるんじゃなくて、国民が国家のためにある。そういうことです」 (P51)
「日本人はね、国家に対する期待、依存が過ぎます。農耕民族は、自然と言う大きなものによって世界が動いているという意識があるから、どうしても大きなものに、長いものに巻かれるという立居振舞が常にある。だから、例えば田植えをする時でもさ、一人が飛び出さないように、昔は太鼓を打ちながら」 (P52)
昔々の田植えの太鼓から、「外部規律依存」や「忖度」の体質はしみこんでいるのか。根が深すぎ。
作家の辺見庸さんは、 『<3・11以後>忘却に抗して』で次のように語っている。
「国難って言葉、好きですか?僕は大嫌いなだな。国難に対処することが最優先となり、個人の行動や内心の自由が、どんどん束縛されていないか」 (P126)
個人より、国が優先される世の中に違和感を覚えている。
ジャーナリストの武田徹さんは、雑誌『新潮45』(2月号)で次のように書いている。
「日本にはもともと、パブリックという概念がなく、ほとんどオフィシャルと同じ。公といえば、国とイコールだと考えられている」
ちなみに、高市早苗氏のHPには、「基本理念」として次の言葉が書いてある。
「高市早苗が守り抜きたいものは、『国民の生命』『国土と資源』『国家の主権と名誉』です。それは、国の究極の使命でもあると考えています」
おそらく言葉使いとしては間違っていないのだろう。でも、問題は、その「国民」と「国家」を一体として考えるのではなく、どちらを優先しながら「国づくり」をするのかをはっきりさせておくべきなのではと思う。そうしないと、「国土」や「国家」のために、国民が犠牲にされていってしまうのではないか。企業存続のために、社員たちを使い捨てていく、ブラック企業のように…。
やはり「国家」と「国民」は別なのだと思う。「国家と国民は一体」だから、国家が国民に対して「従え!」「我慢しろ!」というような同調圧力をかけるのは当然…、そんな国作りをするのではなく、僕としては、あくまでも「国民」すなわち「個人」を尊重、優先する「国家」を作っていってほしいと思う。
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