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2013年3月 7日 (木)

「日本は、アメリカのように『やっぱりそのルールはやめよう』とはいきません」

今日も先ほどのブログへの追加。雑誌『中央公論』(3月号)を読んでいたら、大リーグのマリナーズなどで活躍した元野球投手の長谷川滋利さんが『「ルールを変えない」という勇気も必要だ』という文章を寄せていた。せっかくなので、この文章の言葉も紹介しておきたい。長谷川さんは、現役を引退した今もアメリカ在住で、もう17年目になるとのこと。

「ルールというものに対する感覚は、アメリカと日本とでかなり違います。アメリカは、そのほうが効率がいいと思ったら、新しいルールをすぐに作る。そのかわり、うまくいかなければ、すぐに改める。場合によっては元に戻すこともある。良い面も悪い面もありますが、柔軟であることは確かです」 (P107) 

柔軟にルールを変えていくアメリカ。これは、先の文章で玉木正之さんが言う「スポーツマンに大事なのは、ルールを変える、ルールを作ること」というのと重なる。 

一方で、日本はどうなのか。長谷川さんは、日本については次のように書く。 

「それに比べて、日本はルールを作るのに時間をかけますし、一度ルールを作ったらそれに縛られがちです。もとに戻すのはとても難しい」 (P107) 

やはり、という感じの指摘である。 ただし長谷川さんの提言は、次のように続いている。 

「日本は、アメリカのように『やっぱりそのルールはやめよう』とはいきません。僕は日本には『ルールを変えない勇気』があってもいいと思います。野球とベースボールが違うスポーツであるように、柔道とJUDOを別の協議にしてもいいのです」 (P110) 

一見すると、「ルールを変えない勇気」と言っているので、玉木さんが指摘する「ルールを変える」「ルールを作る」とは反しているように思えるが、実は長谷川さんの指摘は奥が深い。

ストライクとボールのカウント、ビデオ判定の導入など、アメリカが導入したものはすぐに導入したがるのが日本野球。でも日本では、アメリカと違って一度導入してしまったものは、もう2度と変えられることはなくなる。たとえ、向こうの国で、その後、改められたとしても。だったら、「野球とベースボール」、「柔道とJUDO」と競技の質が外国と違ってしまってもいいから、独自の判断によるルールでいいのではないか。何もアメリカが変えたからといって、そこで日本も変える必要はないのではないのか。というのが長谷川さんの指摘なのである。

この指摘の背景には、「一度決めたルールは変えられない」ということと、「アメリカ従属」という二つの日本の「病」が重なっているのである。

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