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2013年4月 4日 (木)

「でも企業ジャーナリズムにとってケース・バイ・ケースは、組織論理と齟齬を起こします」

前回のブログ(4月3日)では、メディアにとって、企業としての立場とジャーナリズム、その両立が難しい時代に入ったという内容の言葉を並べた。その続き。

メディアが、企業として抱えるランニングコストの割合が増えていくなか、ジャーナリズムは、どのように生き残っていくべきなのか。TBSラジオに『DIG』(3月19日)では、元毎日新聞の河内孝さんが、例として朝日新聞の抱えるランニングコストを具体的に説明しながら、「デジタル革命」をどう乗り越えていくかについて話していた。(この番組『DIG』は先週で放送自体が終了してしまった)。 

「朝日新聞って今、社員だいたい4000人台で、3000億円くらいの売り上げ。で、ウェブ、ネット新聞に完全に切り替えると、紙がいらない、印刷工場がいらない、流通網がいらないでしょう。販売店いらない。それで、社員だって、朝日新聞4000人の中で、記者っていうのは、たぶん1600~700人。そのうち300人は管理職だからいらない。本当に駆け回っているのは、12~1300人さ。1200人だったら、人件費で言うと3000億円かせぐ必要ないんだよ。で、ウェブでやった時にどうなるかという計算をして、どうやってそこまでシフトしているか、ということを少なくとも朝日新聞は考えている」 

つまり、これだけ紙の新聞というのが手間と時間をかけて作っている。その一方、アメリカではどのようにして、ジャーナリズムが新たな居場所をつくり出しているかも話している。 

「アメリカって壊して作っていくのが上手じゃない。なぜそういうことが可能かというと、いろんな理由があるんだけど、やはりアメリカのジャーナリストの給料の安さがあると思う。平均して3万ドルくらいですから、日本円でいうと300~400万円。もちろんスター記者は何千万とっていますが、平均的には300~400万円。ダブルインカムですからやっていける。ヨーロッパも同じ。日本みたいに某新聞などは、1千万円とかよりいいわけですから、社会変化に応じてどれだけ自分の身の丈を。そのくらいの革命をやらないと、このデジタル革命は乗り切れない」 

アメリカでは元々、ジャーナリストや記者たちのランニングコストが低いため、新しいメディアも作りやすいという指摘である。すなわち自分たちジャーナリストとしての居場所、活躍の場所を、時代の変化に合わせて新たに作っていく。

という意味でも、日本のメディアは、今後、自分たちのランニングコストにぶら下がっている、人たち、関係者、ステークホルダーをどう整理できるかが生き残りのカギだったりするのだろう。
 

ただ、メディアが抱える問題は、当然ながらランニングコストの削減だけではない。もうひとつコンプライアンスという流れに、どう向き合っていくかも大きな問題だと思う。 

森達也さんは、『誰がこの国を壊すのか』の中で、次のようにも語っている。 

正解などない。現場では誰もが悩みながら、自分自身の答えを探すしかない。ジャーナリズムはそんな領域です。常にケース・バイ・ケースです。でも企業ジャーナリズムにとってケース・バイ・ケースは、組織論理と齟齬を起こします。効率も悪いしマニュアル化もできない。リスク軽減も難しい。だからこそ葛藤や煩悶を回避する。現場で悩まなくなる。マニュアルと求め始める。こうして横並び報道が行われる。それはやっぱり、ジャーナリズムではなくてメディアです」 (P196) 

最近の企業が持つ、ケース・バイ・ケースを許さない風潮。管理責任というやつ。効率化、リスク管理・・・、そうした現代的な企業論理、すなわちコンプライアンスを突き詰めていくと、ジャーナリズムは、「いらないもの」になっていかざるをえないのではないか。 

もうひとつ。北海道警察の裏金問題を、キャンペーンをはって追及した北海道新聞、その調査報道を引っ張った高田昌幸さんが、その舞台について書きとめた著書『真実』。その中で、高田さんが、2~3年目の若手記者から浮きあげられたというエピソードも印象的だった。

「先輩たちの裏金報道はすごいと思いました。入社前でしたが、あこがれました。でも今はちょっと違うんです。自分は調査報道をやりたいとは思いません。

 だって社内では調査報道をやろうという雰囲気、全然ないじゃないですか。あんな危ないものは手を出すな、みたいな気分が充満しているじゃないですか。社内では、調査報道なんて、まったく評価されていないじゃないですか」 (P251)

メディアの企業としての立場。ランニングコストとコンプライアンス、こうした問題にちゃんと向き合って考えていかないと、前回のコメントで神保哲生さんが危惧するように、ジャーナリズムが生き残っていけなくなるのかもしれない。

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