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2013年4月12日 (金)

「今、気になっているのは、みんなが『考える』より『思う』でことを決めるようになったことだ」

一昨日の東京新聞(4月10日)に、愛媛県に住む中学2年生の鷲野天音さんが母親に話した言葉が紹介されていた。 

「お母さん知っとるか。中学というとこは物を考えない人間をつくるとこやで」


この鷲野くんは、小5の時に、自分で「原発反対」の署名を、親戚や知人から集め、愛媛県議会に提出したという過去を持つ。これは、原発事故前の2009年のことだというから驚く。 

そして今日の朝日新聞(4月12日)に載っていた沖縄の輿儀香歩さん(18才)。高校時代に出場したダンスフェスティバルで「基地問題」をテーマにした時、審査員から「高校生にしては重いテーマ」と言われたという。そのときの思いが書かれていた。 

「高校生なら考えなくていいの?もやもやした感じが残った」 

中学生や高校生は考えなくてもいい、というのはどういうことなのだろうか。果たして考えないのは彼らだけなのか。ということで、今回は「考える」ということについての言葉をざっと並べてみようと思う。 

作家の池澤夏樹さん朝日新聞夕刊(1月8日)から。

「今、気になっているのは、みんなが『考える』より『思う』でことを決めるようになったことだ。五分間の論理的な思考より一秒の好悪の判断」

「システムがそれを束ねて増殖させる。『思い』に自信がつき、『考え』を排除する。時には多くの人が手近に敵を見つけて叩くというゲームに熱中する」

建築家の坂口恭平さん著書『独立国家のつくりかた』から。

「『考える』とは何か?これはつまり『どう生きのびるか』の対策を練ることである。『生きるとはどういことか』を内省し、外部の環境を把握し、考察することである。匿名化したシステムではこの『考える』という行為が削除される。考えなくても生きていけると思わせておいて、実は考えを削除されている」 (P43)
 

政治学者の中島岳志さんの言葉。毎日新聞夕刊(2012年2月17日)から。

「ツイッター社会というのか、何か起きたら瞬間的に反応して、気の利いたことを言う。すると、リツィートがいっぱい発信される。ところが、そうした言葉も1週間後にはもう古くなってしまう。断片的熱狂のような状態。もう少し立ち止まって考えなければいけないことが、いろいろあるはずです」

神戸大学教授で医師の、岩田健太郎さんの言葉。『有事対応コミュニケーション力』から。

「即答する人だけがテレビに出るようになるんです。テレビうけする人って、けっきょくそういう人たちなんですね」 (P61)


考えることを排除する傾向がますます強まる世の中。それでも、きっと考えなければならない。そんな言葉を。

作家の村上龍さん著書『自由とは、選び取ること』から。

「生き延びるためには、経済力や体力、人的ネットワークなど、いろいろなものが必要だが、もっと大切なものは何だろうか。
 

ミもフタもない答えだが、『考えること』だと思う。自分はどうすれば生き延びることができるのか、考える。考えたところで何も生まれないかもしれないし、何も変わらないかもしれない。だが、現代では考えることなくぼんやりと幸福到来を待つことほど、危険なことはない」 (P187)

作家の高橋源一郎さん著書『「あの日」からぼくが考えてきた「正しさ」について』から。

「ここで『出口』を見つけるためには、学校で教わったことはなにも役に立たない。自分で考えるしかない。『気配』を感じられるようにするしかないんだ。たぶん、その『出口』は、いまはよく見えないところにあるんだから」(明治学院大学の卒業生に送った言葉)

脳学者の養老孟司さん『絵になる子育てなんかない』から。

「人は何のために生きているのか。昔から繰り返し問われてきましたね。しかし、この『問い』は意味をなさない。あなたが現在、ここでこうして生きているのが『答え』なんですから。
 
であるなら、本当の『問い』は何か。そうして私がいまここでこうしているんだろう-これが『問い』です。このように、『答え』から出発して疑問を探すのが『考える』ということなんです」 (P119)

前回に続き、立教大学総長の吉岡知哉さんの言葉でしめたい。これまでも何度か紹介しているが、2011年度の大学院学位授与式での式辞から。
 

「大学の存在根拠とはなにか。一言で言えばそれは、『考えること』ではないかと思います。大学とは考えるところである。もう少し丁寧に言うと、人間社会が大学の存在を認めてきたのは、大学が物事を徹底的に考えるところであるからだと思うのです」 

「既存の価値や思考方法自体を疑い、それを変え、時には壊していくことが『考える』ということであるならば、考えるためには既存の価値や思考方法に拘束されていてはならない」 

「ところが、東日本大震災とその後の原発事故は、大学がそのような『考える』という本来の役割を果たしていないし、これまでも果たしてこなかったことを白日のもとに明らかにしてしまった」 

「『考える』という営みは既存の社会が認める価値の前提や枠組み自体を疑うという点において、本質的に反時代的・反社会的な行為です」
 

「皆さんがどのような途に進まれるにしても、ひとつ確実なことがあります。それは皆さんが、『徹底的に考える』という営為において、自分が社会的な『異物』であることを選び取った存在だということです。どうか、『徹底的に考える』という営みをこれからも続けてください。そして、同時代との齟齬を大切にしてください」 

学ぶ場所ということでは大学も中学校、高校も変わらないはず。最初に紹介した鷲野くんの言葉と、吉岡総長の言葉のあいだに、きっと日本のいろんな「現実」が落ちている。


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