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2013年4月10日 (水)

「へそ曲がりというか、偉そうな連中を見るとつい歯向かいたくなる反骨心というか、それは記者にとって最も大切な資質ですよ」

前回のブログ(4月9日)に続き、『メディアの罠』からの言葉を並べてみたい。

4月4日のブログでも、メディアでも、ジャーナリズムを果たすことよりも、効率化、リスク管理といった企業の論理が優先される「コンプライアンス」の風潮が強まっていることに触れた。今回も、そうしたメディア企業の組織やコンプライアンスについての言葉を中心に。 

まず、ジャーナリストの青木理さんのメディアの組織についての指摘から。 

「昨今の新聞やテレビは、官僚化と硬直化が極まり、安全運転と自己規制の固まりみないになってしまっている。少しでも危ない取材はせず、波紋を呼びそうな報道には手を出さない。つまりは、良い意味でのメディア組織の『緩さ』のようなものがほとんどない」 (P198) 

一方、長く北海道新聞で記者を続け、現在は高知新聞に属する高田昌幸さんは、次のように語る。 

「過度のおびえ、過度の忖度、そして報道組織の無責任体質が、タブーを作り上げている。そんな感覚が新聞社内にはあります」 (P158) 

ジャーナリズムを追うことを忘れ、あたかも一般企業のようなコンプライアンス意識が、原発事故にまつわる報道での「惨敗」を招いたということなのかもしれない。

青木理さんの言葉から。

「しかし今回、大手と言われるメディア組織は、まさに薄っぺらなコンプライアンス意識に足を引っ張られ、原発事故現場に近づかず、会社にしても組合にしても、身動きが取れなくなってしまった」 (P240) 

高田昌幸さんは、さらに詳しく語っている。 

「原発事故のような本当の厳しいケースとなると、記者を会社公認で現地に行かせるかどうかなんて、なかなか判断できないし、判断しようとしないでしょう。30代半ばくらいのキャップ給が決めることはあり得ないし、その上のデスク級も判断できないし、判断しない。では部長?局長?社長?もしかしたら、社長ですら判断できないかもしれません。事態の大きさを考えると、一社だけでは動けないかもしれない。きっと、同業他社や政府・当局の動向を探って『うちだけが突出しないように』という思考が働く。判断の放棄です。逆に言うと、事態が大きくなればなるほど、『国難』になればなるほど、メディアは自由な判断をしなくなる。きっと、そういうことです」 (P218) 

「うちだけが突出しないように」というのは、僕が現場にいたころも、ちょくちょく上部から回ってきた言葉である。いやな言葉、空気だ。 

さらに高田さんは、次のように話す。 

「つまり『誰が責任取るか』という話ですよね。だれも責任を取ろうとしない。『会社のために』などという理屈は嘘ですよね。『会社のために』という言葉が出るときは、単にその人の自己保身の裏返しでしかない。大メディアは、自己保身の集合体になっている。メディア組織の官僚化がものすごく深化したということです」 (P240) 

まさに「官僚」という行動様式なのだろう。ちなみに本は、変わるが、元朝日新聞主筆の船橋洋一さんの近著『カウントダウン・メルトダウン』には、原発事故における霞が関官僚に対する次のような指摘があった。参考として記しておく。 

「SPEEDIを公表することによってパニックが起こった場合、責任を取らされることを官僚機構は極度に恐れた。公表によって放射線量の高い地域の住民が我先に避難殺到し、制御できなくなるリスク、二次災害が起こるリスク、試算結果が後で間違いとなるリスク、そして何より保障を求められ、訴訟されるリスクを彼らが恐れた。
 
彼らは、行動することのリスクより行動しないことのリスクを取ることを選択したのである」
 (下巻P388) 

確かに、ジャーナリズムの世界も、官僚機構も、同じ病理に蝕まれているのかもしれない。メディア組織が官僚化し、硬直化すると、当然ながら、属する記者たちも追従することになる。再び『メディアの罠』から、青木理さんの指摘である。 

「日本のメディア企業は、所属している記者をスポイルしてしまう。徹底して型枠に嵌め込み、そこからはみ出ようとする人間を許さないような組織になってしまっているからです」 (P76)

「記者のスタイルも思考形式も定型化されていってしまっているように思うんです。職場である会社には、同じような学歴や同じような家庭環境で育った人たちが集まっていて、同じようなルートで記者として成長していきますから、同じような価値観に染まっている。そこに若干のエリート意識があって、同じ組織にいるという安心感が蔓延する中で仕事をしていると、本当に物事を深く考えなくなる」 (P80)
 

「へそ曲がりというか、偉そうな連中を見るとつい歯向かいたくなる反骨心というか、それは記者にとって最も大切な資質ですよ。しかし、大半の組織記者は、高田さんや僕のようにへそ曲がりじゃない。特に最近は、良くも悪くもまじめで従順なんです」  (P107)

メディアの規模の違いこそあれ、ボクも現場で同じようなことを感じ、呆れ、疲れ、その組織を出ることを選んだ。できればスポイルされる前に、と願って。ジャーナリズムの現場でも、コンプライアンスの徹底に何の疑問も持たず、その完全実行に使命を感じる人間がいるのは確か。どんどん増えている。そして今の時代は、そうした人間の方が、メディア企業の中では確実に出世する。悲しいことに。

やれやれ。ジャーナリズムの将来に光明を感じさせてくれる言葉を集めたいのだけど…。

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