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2013年4月 3日 (水)

「経済論理に抗してでも、損を甘受してでも、絶対に守らなきゃいけない一線がある」

少し前に何回かに渡って、「ランニングコスト」に関する言葉を紹介した(12月25日のブログ )。今回は、ちゃんとまとめられるか正直分からないが、ジャーナリズムの世界での「ランニングコスト」にまつわる問題が浮かび上がってくるような言葉を並べてみたい。

メディアといえども、当然ながら「商売」という世界の中に存在する。そこで、ジャーナリズムはどういう立ち位置を取っていくべきなのか。僕自身も、ささやかながら現場で悩んだ問題である。まずは、それにまつわる言葉から。 

元共同通信の記者である、ジャーナリストの青木理さんは、著書『僕たちの時代』で、次のように語っている。 

「ジャーナリズム性をきちんと追求しようとすれば、売れるか売れないかということと同時か、時にはそれ以上に背負わなくちゃならないものがある」 (P24)

「もちろん新聞だって商売であって、僕たちは書いたものを売って飯の種にしていることは間違いないんだけれども、この稼業には別の意味もある。経済論理に抗してでも、損を甘受してでも、絶対に守らなきゃいけない一線がある」 (P25)
 

同じく青木さんは、TBSラジオ『DIG』(1月3日)の中では、かつての記者時代、記事を「売れる」と思って書いたことはなく、「意義がある」「やるべき」「重要だ」などの思いで書いていたと話していた。それに対して今の記者たちは、記事がネットの紙面に掲載されることもあり、アクセス数やヒット数を気にしながら書かなくてはならず、大変であるとも言っていた。 

一方で、朝日新聞の連載『プロメテウスの罠』(2012年10月16)の中で、高知新聞社の社長、宮田速雄さんのこんな言葉が取り上げられている。 

「新聞社の目的はカネではない。経営が厳しい時こそ、ジャーナリズムが試される」 

ジャーナリズムの本質的な目的は、「売れること」「カネを稼ぐこと」ではない。しかし一方で、ジャーナリズムをやっていくためには「カネ」の問題は避けて通ることができないのも事実である。 

同じくTBSラジオ『DIG』(3月19日)の放送で、ビデオジャーナリストの神保哲生さんは、次のように語っている。

「ジャーナリズムというのは、重要なことが起きれば、それを取材してもそれほど読む人がいない、視聴率が上がらないと分かっていても、重要だったら取材に行こうよ、というのが判断なんだけど。経営判断としては、それはダメですよね。回収の見込みのないものを取材リソースを投入しているようじゃ、経営者としては、その会社の単純な収益でいくと上がらないということになる。これからマスメディアがどうなるこうなることには、個人的には関心はない。新しいマーケットの中で、いかにしてジャーナリズムを生き残らせていくか」
 

今の時代、企業はお金を生み出さないものを扱っていけない、という傾向は強まっている。今後、ジャーナリズムというものの居場所はあるのだろうか。 

何度も引用するが、作家の森達也さん『誰がこの国を壊すのか』の中で、「ジャーナリズム」と、企業としての「メディア」の両立の難しさを話している。 

テレビも新聞も、それを見る人・読む人・買う人によって社員一人ひとりの生活が支えられている。それは否定できない。でも市場原理を最優先事項としたその瞬間から、メディアは民意によって造型されることを回避できなくなる。その結果、民意が求める単純化、簡略化―つまり『わかりやすさ』を表現の主眼に置くようになってしまう」 (P109)

当然、テレビや新聞などメディアには、勤める社員たちの給料や、設備や流通システムなどのコストがかかる。ランニングコストである。時代の変化とともに、必要なものも、不必要なものも出ているに違いない。経営環境が厳しくなり、ランニングコストの重荷感が増えれば増えるほど、より過剰にユーザーに受け入れられようとする。結果、ジャーナリズムの記事やコンテンツも「受け入れやすいもの」「売れるもの」、つまりは「単純化、簡略化されたもの」がますます求められるということなのだろう。

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