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2013年4月 5日 (金)

「単純化した言葉の中には、必ずごまかしと飛躍が存在する」

前々回のブログ(4月3日)で紹介した森達也さんの言葉を改めて。著書『誰がこの国を壊すのか』から。

テレビも新聞も、それを見る人・読む人・買う人によって社員一人ひとりの生活が支えられている。それは否定できない。でも市場原理を最優先事項としたその瞬間から、メディアは民意によって造型されることを回避できなくなる。その結果、民意が求める単純化、簡略化-つまり『わかりやすさ』を表現の主眼に置くようになってしまう」 (P109) 

メディアは生き残るため、市場原理を受け入れて、紙面・記事の単純化、簡略化を進める。つまりは、メディアが自分の巨大なランニングコストを温存しようとすればするほど、世の中そのものの単純化、簡略化の後押ししていってしまう、ということになる。 

そこで、今回は、世の中で進む「単純化」「簡略化」に対する言葉を、ずらりと並べてみたい。 

北海道大学大学院准教授の中島岳志さん毎日新聞夕刊(2012年2月17日)から。 

「人間はすごく複雑だから、それをできる限り多くの人が使える言語の形で丁寧に書くこと、これが分かりやすさだと思う。ところが、メディア、特にテレビでは『Aか、Bか』みたいな二者択一言語になっている。あれは分かりやすさじゃなくて単純化です」 

同じく中島さんは、著書『秋葉原事件 加藤智大の軌跡』では、次のように語る。

「そのような人間が構成する社会を、そう簡単に単純化して語ることなんてできない。単純化した言葉の中には、必ずごまかしと飛躍が存在する」
 

思想家の内田樹さん雑誌『AERA』(2012年12月17日号)から。 

「メディアは『ニューズ』で商売している。『今日は昨日と同じく平和な一日でした。よかったね』では、飯が食えない。あちらもこちらも全システムが機能不全をきたしており、早急な制度改革が断行されねば国家崩壊の危機は目前……というタイプの話をメディアが好むのは、ほんとうにそう思っているからでなく、そうである方が部数が伸び、視聴率が上がるからである」 

同じく内田さん。こちらは、雑誌『新潮45』(2012年5月号)から。 

「現に私たちの社会における政治家、ヒーローたちは『“悪”に対する過剰な攻撃性』によって、高いポピュラリティを獲得しています。『語りが穏やかである』とか、『考えが深い』とか、『忍耐強く説得を試みている』といったことを政治家の美質に数える習慣を、メディアはほぼ完全に放棄しました。そのような文言を久しくメディアで見聞したことがありません。メディアを徴する限り、今政治家に求められているのは、何よりも『スピード感』であり、『わかりやすさ』であり、『思い切りのよさ』のようです」 

ジャーナリストの辺見庸さん著書『水の透視画法』から。 

「うちつづく月刊誌の休刊決定とは、活字媒体のおわりのはじまりであるとともに、資本の運動へのメディア側によるいまだかつてなく従順な投降でもある。『売れないものは悪いもの』『売れれば良いもの』という世の中の狂れ心と暴力に闘わずして屈したのである」 

森達也さんは、朝日新聞(2012年1月26日)では、次のように語っている。 

「正義と悪。敵と味方。黒と白や右と左。そして被害と加害。前提を二項対立にしたほうが、確かに思考は楽だ。でも、それは現実ではない。この世界はもっと複雑で多面的だ」 

社会運動家の湯浅誠さん毎日新聞(2012年3月30日)から。 

「橋下さんが出てくる前、小泉純一郎政権のころから、複雑さは複雑であること自体が悪であり、シンプルで分かりやすいことは善である、という判断基準の強まりを感じます。複雑さの中身は問題とされない」 

作家の藤本義一さん『<3・11後>忘却に抗して』から。 

「政治にはあきらめしかない。だから、大阪市長になった橋下徹さんみたいのが出てくる。それなりに喝采を浴びてね。でも、彼は単純、明快がとりえでしょ。それでは社会は変わらないな。もっと深い思いの種があって、十年は土の中で育てて、それからじんわり芽を出していく。人の社会の大事な過程をはしょると、事態はかえってよどみ、濁っていくんと違いますかね」 (P191) 

世の中で進む単純化、簡略化。メディアは、自ら持つランニングコストを切り落として行かない限り、この風潮の片棒を担いで行くことになる。

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