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2013年5月 2日 (木)

「世界を牛耳っている勢力が怖いのは、得体のしれない有象無象がとびきり面白いことをすることだ」

今日は、「辺境」についての言葉を並べてみたい。

まずは、東京新聞について。東京新聞は、去年10月にその「原発事故取材班」が、第60回菊池寛賞を受賞しているが、最近、トンガった紙面展開が目立つ。原発問題だけでなく、待機児童や自転車の問題など、社会的な「弱者」に関わるニュースを思い切って第一面に持ってきたりもする。主要新聞の中で、なぜ東京新聞だけがトンがれるのか?そんな話を東京新聞の人にしたら、彼は「本社のある名古屋から、離れた東京に位置することが大きい」と指摘。名古屋の中日新聞社から見れば、という東京という離れた場所にあるから、いろいろ「言い訳」ができる。僕は「辺境」としての強みなのだ、と理解した。 

作家の村上龍さんと、ミュージシャンの坂本龍一さんも、対談本『村上龍と坂本龍一』の中で、次のように語っている。 

坂本 「ま、いま東京新聞やいくつかの地方新聞はがんばっていると思うけど」 

村上 「それはテレビ東京と同じで、いばってないからがんばれるんだよ」 

坂本 「うん、まさにそう思う。東京新聞も地方新聞も図体が大きくなるといろんな圧力がかかって、広告を出さないぞとかになってくる」 

村上 「そう。それにいまはマイナーな存在だから、虐げられている人の気持ちがわかるんだよね」 (P15) 

中央でなく辺境、そして、メインでなくマイナーな存在だからこそ、しがらみや圧力がなく、新しいことができる。そんな場所が「辺境」なんだと思う。 

例えば、ラジオというメディアの良さもそこにある。批評家の荻上チキさんは、TBSラジオ『デイキャッチ』(4月12日)で、次のように話している。 

「ラジオは実験場みたいな所がある。テレビに出れないお笑い芸人の実験場であるかもしれないし、論客にとってもそうかもしれない。実は次の時代に必要となるオピニオンとか、メッセージの実験場でもあったりする。そういう玉石混交の場として、ラジオ、そしてネットもこれから必要なメディアだと思う」 

ラジオは、テレビから見れば「辺境」かもしれない。でも、だからこそテレビにはない「リベラルさ」が存在していたりする。

思想家の内田樹さんは、「辺境」について次のように書く。著書『日本辺境論』から。 

「はるか遠方に『世界の中心』を擬して、その辺境として自らを位置づけることによって、コスモロジカルな心理的安定をまずは確保し、その一方で、その劣位を逆手にとって、自己都合で好き勝手なことをやる。この面従腹背に辺境民のメンタリティの際立った特徴があるのではないか、私はそんなふうに思うことがあります」 (P67) 

玉石混交の場としての「辺境」。好き勝手なことができるから、新しい価値観や、将来の中心を担うべき存在が生まれてきたりするのだろう。

建築家の隈研吾さんは、著書『建築家、走る』に、こんな言葉を載せている。 

21世紀の建築をリードするのは、中心でなく辺境です。中央に迎合しない辺境の心意気が、21世紀の建築をリードしていくのです」 (P154) 

ただ、この「辺境」とも呼べる場所や空間が、いま日本の社会から急速に失われているのも確か。 

社会学者の開沼博さん。最近出した著書『漂白される社会』で、「周縁的な存在」という言葉を使って次のように書いている。 

法や制度、慣習、社会的な規範とは、まったく異なる原理の中で生きる人々や集団。そこに存在する何らかの特権を軸に、一見すると傍流であり、また低俗でもあるようでいて、人々の魂を揺るがすような文化や社会現象を生き生きと作り続けている人や場所が、現代社会にも存在してはいないか。そして、それこそ、本書で追求すべき『周縁的な存在』なのではないか」 (P16) 

ここで言う「周縁的な存在」とは、まさに「辺境」のことであろう。 そして次のように書く。 

「現代社会とは漂白される社会だ。『漂白』とは、『周縁的な存在』が隔離・固定化、不可視化され、『周縁的な存在』が本来持っていた、社会に影響を及ぼし変動を引き起こす性質が失われていくことを示す。これは、物質的なことに限ることなく、精神的なものにも至る。それは、これまで社会あった『色』が失われていこうとする社会であるとも言える」 (P400)

さらに、開沼博さんは、TBSラジオ『たまむすび』(4月26日)で、この本で書きたかったことについて、次のように語っている。

「こういう猥雑なものとか、社会を周辺、端っこの方にありそうなものというのが、実は社会を面白くしている。社会を良い意味で喚起していると思う。そういう喚起する機能が、喚起する役割がどんどん抑え込まれているんじゃないの。つまんなくなっているんじゃないの。ということが言いたかった」 

では、なぜ「辺境」がなくなっていくのか。埼玉大学大学院教授の水野和夫さんは、 ビデオニュース・ドットコム『「経済成長」という呪縛からの解放』(2月22日)で、次のように話している。

「帝国の定義は国境線を画定しないことですので、常に辺境をあいまいにしておく。そうすると今のグローバリゼイションはなにが起きたかというと、技術革新で地球を全部覆い尽くして、ついに辺境がなくなった。フロンティアが失われたということ」
 

翻訳家の池田香代子さんの次の指摘も紹介したい。雑誌『世界』(2012年7月号)から。 


「世界を牛耳っている勢力が怖いのは、得体のしれない有象無象がとびきり面白いことをすることだ」
 

逆に言えば、現在のリーダーや、現在の価値観を守りたい勢力は、玉石混交で、好き勝手やって、新しい価値観が生まれてくる場所である「辺境」をできるだけ、社会の中から奪っていきたいと考えるに違いない。 

だからこそ、我々はなんとかして「辺境」的な場所や空間、存在を守っていき、そして新たに作っていかなければならないのだと思う。



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