「僕には、平均化されない、とがった存在でありたいという思いがある」
一昨日の朝日新聞(5月21日)に、サッカー選手のカズこと、三浦和良さんのインタビューが掲載されていた。その中の次の部分が印象的だった。
「僕には、平均化されない、とがった存在でありたいという思いがある」
「平均化されない」という美意識はけっこう大事じゃないかなと思う。
そのあと、乙武洋匡さんの著書『自分を愛する力』を読んでいたら、そこでも「平均」という言葉が出てきた。乙武さんが、教師として生徒とどう対するかについて書いた部分から、
「むずかしいことはわかっている。それでも、僕らが『平均』や『標準』というモノサシを捨て、その子なりの特性や発育のペースを尊重してあげることができたら-きっと、幸せな子供が増えていくと思うのだ」 (P48)
そして、小説『だいじょうぶ3組』では、次のような会話が登場する。乙武さんらしき教師の赤尾慎之介と、介助員の白石優作のやりとり。
赤尾 「どうせ、スタートラインからフツーじゃないんだ。だから、オレの教師生活、“フツー”をものさしにするのはやめようと思って。子どものためになるのか、ならないのか。それを第一に考えていこうと思ってさ」
白石 「でもね、学校というところは、なによりもその“フツー”を重視する場所なんだ。それは教育委員会というところで働いてみて、よくわかった」 (P28)
ここで言う「フツーのものさし」というものが「平均」というやつだと思う。フツーってなんだよとも思うが、要は「平均」のことなのだ。日本の学校教育について、内田樹さんは著書『荒天の武学』で次のように書いている。
「日本の学校教育は、おそらく世界でも類をみないほど強い規格化、標準化圧を子どもたちにかけている。それによって大量の『代替可能-個体別不能』の工業製品のような労働者をつくり出すことをわが国の教育行政は久しく国策として遂行してきた」 (P10)
その状況について、乙武洋匡さんも、次のように書いている。『自分を愛する力』から。
「さらに僕が驚かされたのは、その大人の都合でつくられたストライクゾーンのなかに、なかば力ずくで子どもたちをはめこもうとする教師が少なくなかったこと」 (P130)
「無理やり引きずられ、ストライクゾーンに放り込まれようとする子どもたち。それでも、そのゾーンになじめず、苦悩する子どもたち。そんな彼らにこそ、『だいじょうぶだよ』と声をかけ、彼らの存在を受けとめ、そこに自己肯定感をはぐくんでいくのは僕の役目だと考えていた」 (P131)
フツー、平均化、規格化、標準化・・・、そんな枠に押し込める教育を続けていては、カズや乙武さんのような個性はめったに生まれてこないのではないか。
地域エコノミストの藻谷浩介さんが、著書『藻谷浩介さん、経済成長がなければ僕たちは幸せになれないのでしょうか?』で語っている次の指摘も地域復興についての話ながら、上記のことに通じると思う。
「『平均値と個人は違う』と言う点についても、『個人ではなくマクロの話なんだ』ということになるんです。その背景には、すべては平均値に向かって収斂するものだという思いこみがありそうです」 (P83)
結局、平均に収斂されてしまう個人や地域は埋没して、反対に生き残るのが難しくなる。本来、平均値はひとつの目安しかなく、平均値と個々は違うのである。そもそも平均値なんてフィクションで、そんな個人はいないのである。きっと。
なのに平均値に収斂してしまう日本の風潮は、暫定的なルールや規則に依存、服従してしまう風潮とどこか繋がっているような気がする。とにかく枠が好きなのだ。
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