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2013年5月30日 (木)

「人間のためのシステムのはずが、いつの間にかシステムのための人間になっている。ここには明らかに転倒がある」

前々回のブログ(5月22日)前回のブログ(5月28日)では、「平均」というものにまつわる言葉を並べてみた。

特に前回では、原発事故において、個々の事情を考えることなく、「平均」というものに合わせて対応することの無意味さについての言葉も紹介した。今回は、そこから考えてみたことをうまくまとまるかどうかわからないけど、流れにまかせて並べてみたい。 

社会学者の山下祐介さんは、著書『東北発の震災論』で、次のことを書いている。

「『復興』を進める事業のためには、人の暮らしはどうなっても構わないという力学が生まれているようだ」 (P269)

こういう風に考えることはできないか。被災地では、具体的な個々の被害や暮らしぶりがあるのにも関わらず、それより、地域全体を大括して把握した、すなわち「平均」した概念による「復興」が進められているのではないか。これは前回の紹介したヤブロコフ博士の指摘とも重なる。 

この山下さんの本を読みなおしていて思ったのだが、もしかして「平均」というものは、そのまま「システム」という言葉に置き換えられるのかもしれない。「システム」というものは、平均した概念を効率よく、管理しやすく行うためにあるものだから。 

同じく『東北発の震災論』から。 

「本来、防災施設にしても、道路などのインフラにしても、みな人間のためのものだったはずだ。原子力発電所だってそうだ。人間のためのシステムのはずが、いつの間にかシステムのための人間になっている。ここには明らかに転倒がある」  (P253)

「システムが大きすぎるのだ。大きすぎる中で、中間項がなく、政治がすべての国民を大事にし、そのための決定を行おうとすることに問題があるのだ。そして政治のみでは無理だから、科学が、マスコミが、大きな経済が介入する。だがこうした大きなものによる作用の中では、一人一人の声は断片でしかなくなる。しばしば人は数字となり、モノとなる。人間の生きることの意味は逆立ちしてしまい、人は人でなくなる」 

山下さんが問題があると指摘する「政治がすべての国民を大事にし、そのための決定を行うとすること」。大事にするがうえに、「平均」「標準」「規格」「フツー」「平等」「公平」といったことばかりが優先され、そして「システム」が起動する。 

個人よりシステムが優先される世界。システムに依存する世界。まさに村上春樹さんが小説で書き続けていることでもある。 

場面は変わる。菅政権のときに内閣広報審議官として官邸に入った下村健一さんかなり以前のブログ(2011年9月7日)でも、その言葉を取り上げた。最近、出版された新著『首相官邸で働いて初めてわかったこと』にも、同じようなフレーズがあったので改めて。 

「原稿の素案を用意するたびに、『システム』という名の生き物が立ち現われて、色んな人間の口を使ってさんざんに“安全”“堅実”“没個性”な言葉に置き換えられていった日々が、一気によみがえった。そう、最後まで、敵は『システム』だったのだ。それぞれの『人』ではなく」 (P234) 

この本にも、日本政府の中枢でさえ、個々よりもシステムが優先される様が書かれていた。あまりにも巨大なシステム過ぎて、総理大臣さえも何もできなくなっているのだ。やれやれ。 

山下さんの指摘するように巨大になりすぎたシステムでは、やがて社会の事象に対応できなくなる。それが顕著に表れたのが、東日本大震災だったのである。改めて『東北発の震災論』から。

人間は無力である。この災害で我々は、我々自身であること、その自律性/主体性を失った。人間はシステムを自由には動かせない。しかも、そうしたシステムの崩壊を前にして、我々はそこから逃れるどころか、ますますこのシステムの強化へと自分たち自身を追い込みつつある」 (P251)

「我々は、普段は広域システムによって豊かに、安全に暮らしている。しかしこのシステムが解体するような危機が訪れると、システムがあまりにも大きく、複雑すぎるために、個々の人間には手に負えない事態に陥ることとなる。東日本大震災で起こったことに対して、首相も、政府も、メディアも、科学者も、みな無力だった。
 
広域システム災害に直面して我々は、システムの本質を反省し、改善するよりはむしろ、崩壊後の再建においてそのシステムをさらに強化する選択肢をとりつつあるようだ」 (P251)
 

個人よりもシステムが優先される社会。そこでは個人は、システムに依存する。依存すればするほど、個々は断片となり、孤立し、埋没していく。そしてシステムはさらに巨大化する。巨大化したシステムは、巨大な故に個々の事象に対応できなくなる。その結果、我々は、どうするか。悲しいかな更にシステムを強化しようとするのだという。 

ぐるぐる回るスパイラル。やれやれ。スパイラルのなかで、我々はどうしたらいいのか。お手上げなのか。よく分からない。 

もう一度、下村健一さん『首相官邸で働いて初めてわかったこと』から、次の言葉を引用する。 

「その“システム”を作っているのも、それに憑依されて動くのも、全ては『人』だ。喜怒哀楽を持ち、決めも迷いも、燃えも挫けも、成し遂げも間違えもする『人の束』。だからこそ、我々一般国民の働きかけが、作用する余地がある」 (P325) 

長くなってしまったが、最後にもうひとつ。こちらもかなり前だが、このブログ(2011年11月10日) で取り上げた思想家の内田樹さん著書『ONEPIECE STRONG WORDS』で書いていた言葉をもう一度。 

「残る方途は、たぶん一つしかありません。ルフィたちもそれを戦略として採用します。それは、システムの中にあるのだけど、システムの中の異物として、システム内部にとどまるということです」 

僕なりに解釈するとこうなる。システムは、管理・効率を強め、巨大化していく。「平均」を押しつけながら。先日のブログ(5月2日など)でも書いたが、その過程で失われていくのが「辺境」ではないか。巨大なシステムを外部から変えるのはもはや難しい。だったら個々がシステムのなかにとどまり、そこで異物・異端の存在として「辺境」をつくっていくことしかない。そういうことではないだろうか。


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