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2013年5月 9日 (木)

「他人をコンロトールしたくてしょうがないやつが多いんだよね」

昨日のブログ(5月8日)では、内田樹さんの次の言葉を紹介した。改めて。『「正しいオヤジ」になる方法』から。

「自分の体だってそうじゃないですか。勝手なリズムで動いて、勝手に眠くなったり、お腹が空いたりして、勝手に衰えて、勝手に病んで、勝手に死んでしまう。自分の身体でさえ意のままにならないんですから、他人においておや、です。配偶者も、そんな意のままにならない自分の体の延長みたいなものだと考えてればいいんじゃないですか」 (P124)

ままならない、思うようにならない、コントロールできない。自分の体さえそうなんだから・・・。ということ。 

これまで何度か「コントロール」についての言葉を紹介してきた。(1月11日のブログ など)または、一昨日のブログ(5月7日) で紹介した「リーダー論」にも通じると思う。そこで今日は、これまで目についた「コントロールすること」についての言葉を並べてみたい。 

まずは、社会学者の開沼博さん著書『漂白される社会』から。 

「いかに科学が発展し、合理的な計算が可能になろうとも、災害は発生し続け、病で人は死ぬことはある。本来、社会はコントロール不能なものであふれている。
 
しかし、それにもかかわらず、私たちはそのコントロール不能な社会の『残余』に目を向け、それがコントロール可能な方向に転じるよう、身を投じることをやめようとしない。そして、そこに接近した時に得ることができるもの(それは快感なのか、安心感なのか、征服感なのか、充足感なのかわからないが)を求め続けている」 (P202)
 

なのに・・・。早大教授で生物学者の池田清彦さんは、著書『ほんとうの復興』で次のように話している。

「他人をコンロトールしたくてしょうがないやつが多いんだよね。僕は『権力はコンロトール装置である』とずっと言ってきたんだけど、実のところなぜコントロールしたいのかはよく分からないんだ」

「心配なのは、これほどの大きな天災が起こると、他人をコンロトールしたい欲望の強い人間が、これを機にさらにコントロールしようとするのではないかということ」 (P167)

マイケル・サンデル氏は、著書『日本で正義の話をしよう』で次のように書く。

「親であるということは、根本的に予測不可能な何かにかかわっている。もしかすると、この予測不可能性を受け入れることが、人間にとって重要な資質なのではないだろうか」

「もしかすると、親であるということは、あるがままに受け入れるという美徳を教えてくれるのかもしれない」
 

先日の「結婚」の例といい、「家族」というものには、いろいろ縮図のように詰まっている。

経営学者の野田一夫さんは、毎日新聞夕刊(2012年4月27日)で次のように書いている。

「人生は思うようにいかない。しかし、今に見ていろ、の気持ちがあれば何とかなる」

作家の平川克美さん著書『俺に似たひと』から。

「手紙には、ほんの数行、綺麗な文字が並んでいた。『どうにもならないことがたくさんあるけれど、なんとかなる、どうにかなる』、それはおそらく彼女の素直な気持ちの表出だったのだろう」 (P218)


脳学者の養老孟司さん著書『庭は手入れをするもんだ』から。

「自然の中で暮らしていれば、『ああすればこうなる』はないのです。地震も台風も防ぎようがない。都会人は人間が意識的につくり出したもの以外はどんどん遠ざけ、自然に苦手意識をもつようになり、その結果、死をもないようになったのだと思います」 (P55) 

最後に、茂木健一郎さんの言葉。著書『生命と偶有性』から。 

「『偶有性』とは何か-。それは私たちの生が容易には予測できないものであるということである」 (P7) 

「偶有性の海に飛び込め!そうして、力の限り、泳いでみよ!」 (P10)


 

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コメント

 諦めるの、和語の語原が、 明らかに決める だと、養老孟司さんの本で読んだ記憶があります。

 予測不可能制の排除を、徹して行こうとするが故に、人共同体が、過剰な管理を求める姿?在り方となり、
 結果、その管理が在り方の自由を奪い、
   『 あ な た は あ な た で よ い の だ 。 』
と、言った自己肯定感を奪い続けている。と、感じます。

 そして、また、線引きに於いて、法よりも、同調圧力を使う特質のある?認識の同化を求める?
 和を持って尊しとしてきた、この大和の、特質は、、、
 その管理の手法の特質として、仰るように、、、
   他 人 を コ ン ト ロ ー ル し た く て し ょ う が な い 奴
の、連鎖?が、其れを実現させている、と、も、気が付ける処があります。

 しかし、、、その画一化された?管理を高度に徹された、ツマリは、『 覚 悟 』の、要らない共同体が、故に、、、
 多くの、『 自 殺 』を、産むことにも繋がっていることを考えると、、、
 何というか?本末転倒的なモノを、正直感じざるを得ない。

 ま、端的に言えば、疲れます。

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