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2013年8月 6日 (火)

「こういうのを、僕は『全米が泣いた現象』と言っているんです。人でもない『全米』が泣く訳ないじゃないですか。アメリカの一部の人が泣いただけですよ」

以前のブログ(5月22日5月28日)で、「平均値と個人は違う」という考え方を取り上げた。ロシアの生物学者、アレクセイ・ヤブロコフ博士がチェルノブイリや福島の原発事故について語った次の言葉も印象的である。

「『平均』などというものは科学的にはありえないのです」

しかし世の中は、どうも「平均」「一般」というもので物事をとらえ、ことを進めようとしている。そんな感じの言葉を今回は並べたい。

まずは映画監督の園子温さんが対談本『ナショナリズムの罠』で、次のように語っている。

「こういうのを、僕は『全米が泣いた現象』と言っているんです。人でもない『全米』が泣く訳ないじゃないですか。アメリカの一部の人が泣いただけですよ。あと『カンヌ騒然』ってやつもそうです。どんなすごい映画があろうとも、カンヌの街は騒然としませんから。極端な話、カンヌの審査員すら騒然としてなくて、審査委員長だけが『騒然』としている可能性だってあります」 P66)

「だから、全米が泣かないように。カンヌが騒然としないように、韓国や中国も『激怒』しません。お互いに、大げさに煽りあって、だまし合って、最後は日本人自身も実は全く怒ってないっていう怪しい方向に行くのも、煽って焚きつけるやつがいるからですよ」 P67)

大阪市長選で、橋下徹氏と戦った前市長の平松邦夫さんは、対談本『脱グローバル論』で橋下氏のやり方について、こんな風に語っている。

「市長時代の経験で言うと、当然ながら公務員もいろいろです。いわゆる既得権益を守ろうという職員もいれば、市民の側に立って一緒に走ろうとしている職員だっている。それを十把一絡げにして1つの色で染め上げ、上からバーンと叩くようなやり方をすると何が起きるか」 (P188)

続いて。全然分野は違うけど、サッカーを教えている池上正さん『サッカーで子どもがみるみる変わる7つの目標』で書いていた次の指摘も興味深い。

「都心でよくある中学受験は、ある中学校に魅力を感じて『ここに行きたい』と1校を受験するのではなく、偏差値の高い順番に志望校を決める子が多いのだそうです。なぜなら『落ちても公立中学に行けないから』だと言います。すべての公立中学校がそうでないのに、『学校が荒れている』といったような理由で、親が懸命に入れる私立中学を探します」 (P181)

公立学校にもいろいろあるに決まっているはずだが、「公立学校は荒れている」と一般化してしまう。ことわざ「木を見て、森を見ず」の反対の状況とでもいうべきか。個々を見ようとせずに、大くくりな「平均」「一般」で物事をとらえようとする。その方が楽なのだろう。もちろん、それがすべて悪いわけではない。でも「平均などというものはありえない」という一面を忘れるべきではないのではないか。つまりは「木も、森も見ず」な状況なのである。

最近の景気回復についても、まったく同じ状況だと思う。経済評論家の森永卓郎さんは、文化放送『ゴールデンラジオ』(7月15日)で、次のように語っていた。

「景気は全体としては良くなってきているが、一部の人だけがすごく良くなっている。平均は良い。なぜか。一部の人たちがブンブン引っ張り上げているのが今の実態」

たとえば、少し前に某放送作家の年収が50億円という話が流れた。きっと実際に手にしているお金はもっと多いんだと思う。まあ、それなりに活躍もしているのも確か。しかし反面、昔の著名な作家や放送作家も、そんなにも稼いでいたのだろかと思わなくもない。今は、勝ち組ひとりに収益が一点集中し、莫大な収益を手にできる。その一方で、きっと何かが失われている。何だろう。もしかしたら個々の多様な小さな放送作家の居場所がなくなっているかもしれない。でも、全体の放送作家の平均収入は、50億円のおかげでガツンと上がっているのかも、である。それにしても、50億円を手にして、いったい何をするんだろか。たぶん、また新たな収益システムを作り出すのに使われ、さらに一点が巨大化していく・・・。

これは、おそらく「辺境」がなくなっている構造と同じなのではないだろうか(5月2日のブログなど)。社会学者の開沼博さんは、著書『地方の論理』で次のように指摘している。

「例えば、新自由主義という言葉があります。それは、経済成長が困難になる中で、市場を活用しながらそれまであった社会のムダ・余裕を徹底的に排除する思想です」 P212)

新自由主義やグローバリズムという考えは、ムダや余裕、辺境を排除して、一転集中を生み、そして平均値を上げていくやり方なのだろう。ムダや辺境がなくなれば、自分たちの価値を揺るがすような、新たな価値観も生まれにくくなる・・・。

最後に、コラムニストの小田嶋隆さん『脱グローバル論』で語っていた言葉を書いておきたい。

「麦踏みってありますよね。あれ、麦を踏んで強くするんだと思われているけど、実は違うんで、弱い麦を踏み殺して、麦全体の強さの平均値を上げるわけですよ。それって教育現場にもある話で、どんどん厳しくすれば、弱い子はその学校から逃げちゃうとか、やめちゃうとか、極端な話、死んじゃうとかね。で、教室に残った生徒だけの平均値を取ると、『ほら成績上がっているよ』みたないことってのは、私立学校の教育なんかではあり得るわけですよ」 (P79)

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