「自由であるためには孤立しなくちゃいけない。例外にならなくてはいけないんです」
前回のブログ(9月13日)では、「水を差す」という行為についての言葉を並べてみた。山本七平さんが「『空気』を排除するため、現実という名の『水』を差す」ことが必要と指摘しているにもかかわらず、実際、今の時代や社会では、この「水を差す」という行為が、排除や炎上の対象となってしまう。「水を差す」ことがやりにくくなっている中で、我々は何ができるのだろうか。今回は、そのヒントとなるような言葉を探してみた。
東愛知新聞の社説(9月1日)には、こんな言葉が書かれていた。
「大切なことは、もう一つあります。復興や再建、政策転換に取り組む時に『空気を読まない』ということです」
「求められているのは、しっかりと自分を持ち、『考えたくないこと』でも考えるという『空気の国の習い性』からの脱出です」
そして、作家の辺見庸さん。神奈川新聞(9月8日)の『現在は戦時』と題したインタビューで、次のように語っていた。
「日本のファシズムは、必ずしも外部権力によって強制されたものじゃなく、内発的に求めていくことに非常に顕著な特徴がある。職場の日々の仕事がスムーズに進み、どこからもクレームがかからない。みんなで静かに。自分の方からね。別に政府や行政から圧力がかかるわけじゃないのに。メディア自身がそうなっている」
「自由であるためには孤立しなくちゃいけない。例外にならなくてはいけないんです」
そして、詩人の荒川洋治さん。朝日新聞夕刊(9月10日)で、東日本大震災後、大量に書かれた震災を主題にした詩や歌や、現代詩について、次のように語っている。
「被災者への共感がないと誤解されかねないので、『震災詩』を批判するのは難しい。ただ、翼賛的な空気の中で詩人たちが戦争を肯定する詩を書いてしまった苦い歴史もあり、批評は大事」
「80年以降、現実世界を否定するよりも、目の前の快楽が重視されるようになり、詩も社会性を失っていった」
批評の欠落、目の前の快楽の優先。これは、前回紹介した「sarabande」という方の、ツイッター(9月9日)での指摘と重なるように思える。そちらを、もう一度、書いてみる。
「クリティカルな欠点を覆い隠したうえでなりたっている、多数派の多幸的な雰囲気、空気、これは、知的ではなく、感情的な論理である。比較的多数の、空気にのって楽しんでいる多数派は、それに水をさされると、感情的嫌悪感で反応してくる。『キモい、怖い、マゾ』であり、排除である」
目の前の快楽を優先する多数派が作り出す「空気」。それに対して、どうしたらいいのか。荒川洋治さんは、詩人として次のように語る。
「世の中の一般的な論調には同化せず、詩を書く立場からしか見えないことや感じとれないことを書く」
「詩の言葉は少数の人に深く鋭く入っていくことに意味がある。詩人がみな多数派を志向したら、表面的な心地よい言葉が愛され、深く考えて発せられた言葉が軽んじられる危険がある。ぼくは自分の詩は50人くらいに読まれれば十分と思っている。読む人が多すぎると表現の穴を見つけられるという恐怖感もあるのだけど」
辺見庸さんも、荒川洋治さんも個人的に大好きな方である。
「空気を読まない」「考えたくもないことでも考える」「孤立する」「例外になる」「一般的な論調に同化しない」「少数の人に深く鋭く入る」。こうしたフレーズは、我々が今すべきことの大切なヒントになっていると思う。
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