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2013年9月25日 (水)

「五輪は権力者にとってはいいツール。ほとんどの不満を脇によけてしまう」

少し時間がたったが、もう少しだけ、前々回のブログ(9月13日)に続いて「水を差す」ということに関する言葉・論評を載せておきたい。

デザイナーでライターの、高橋ヨシキさんは、朝日新聞(9月21日)で次のように述べている。 

「今、東京でのオリンピック開催を批判すると非国民扱いです。ムラ祭りでみんな気持ちよくなっているんだから邪魔するな、邪魔すると村八分だぞと。もちろんそんなこと、言語化されませんよ。言葉じゃなくて空気で人を動かす」 

言葉でなく、空気で動かす・・・。 

そして次のようにも述べる。 

「何にでも『国民的』をつけたがるのも、その一環です。AKB48は『国民的アイドル』、宮崎駿監督作品『国民的アニメ』」 

「『国民的』にみんなが無批判に乗っかっていく風潮と、そんなヌルい状況を揺さぶるような表現を『過激だ』といって排除したがる風潮はコインの裏表で、それを支えているのは、本や映画を、『泣いた』『笑った』ではなく、『泣けた』『笑えた』と評するタイプの人たちです」
 

国民的な盛り上がりには、「水を差す」ことさえ許されなくなってくる。

どこからもクレームがつかないことが最優先された、大人の鑑賞に堪えない『お子様ランチ』のような作品だらけになってしまいました。表現の質が下がれば観客のリテラシーが下がり、それがさらなる質の低下を招く。お子様ランチを求める観客と、お子様ランチさえ出しておけば大丈夫とあぐらをかく作り手。そのレベルの低い共犯関係が社会にも染みだしてきた結果が、いまの『国民的』ムラ社会なのでしょう」 

上記の言葉は、前回のブログ(9月17日)で、詩人の荒川洋治さんが述べた次の言葉とほとんど重なる。改めて。 

「詩人がみな多数派を志向したら、表面的な心地よい言葉が愛され、深く考えて発せられた言葉が軽んじられる危険がある」 

詩の「お子様ランチ」化…。

続いて、作家の奥田英朗さん。奥田さんには、前回の東京五輪を題材にした小説『オリンピックの身代金』がある。東京新聞夕刊(9月19日)から。
 

「国がかじ取りをする時には、必ず振り落とされ、見捨てられる人が出てくる。64年に関して言えば、底辺の労働者であり、地方だった」 

「だが、社会全体で『五輪に水を差すな』という雰囲気があり、問題にならなかった。五輪は権力者にとってはいいツール。ほとんどの不満を脇によけてしまう」

「水を差すな」という空気が出来上がることによって、一番喜ぶのは、権力者なのだろう。この構図は、以前のブログ(5月7日)で書いた「権力者・リーダーは、辺境を排除しようとする」ということと殆ど重なっているような気がする。

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