「日常が揺さぶられ、撹拌されなければ、生きることがたいへん過酷で困難になってしまいます」
ここ3回のブログ(9月13日から)では、「水を差す」ということについての言葉を並べてみた。もう少し追加したい。
文化放送『ゴールデンラジオ』(10月4日)を聴いていたら、大橋巨泉さんがまさに世の中の空気に「水を差す」ような発言をしていた。
踏切で倒れたお年寄りを助け、亡くなった横浜の女性に対して、安倍総理が表彰したことに対して、巨泉さんは、「誤解を恐れずに言うと」と断ったうえで、次のようにコメントした。
「表彰するなんてとんでもない。個人的に『私は感動しました』と安倍総理がいうのはいい。
でも『亡くなった女性の命も大切な命なんです、そういうことはしないでください。お年寄りには、踏切の中でしゃがまないでください』というのが国を扱う政治家の言うべきこと」
まさに、このニュースをもてはやす世の中の雰囲気に「水を差す」コメント。ボクも、こういうコメントも必要なんだと思う。
オリンピックに対しては、東北の復興と絡めて、次のように「水を差す」。
「オリンピックが受かったって言って喜んでいる日本人ってどうかしていると思う」
この巨泉さんの発言を受けての、室井佑月さんのコメントも印象的。
「今、オリンピックのことに『ん~』と言おうものなら売国奴って言われちゃう」
「正論は言いたいんですよ。『なんだかなあ』っていう雰囲気に負けちゃう」
ここで指摘されている「正論を言えない空気」。これについては、ちゃんと受け止め考えていかないといけないと思う。
さて。
この「水を差す」、そして「空気を揺らす」という行為がなぜ必要なのか。もう一度、考えてみたい。
ちょっと関係ないように思えるかもしれないが、ここでは思想家の内田樹さんが、著書『聖地巡礼Beginning』で、村上春樹さん描く世界について語っていた言葉を印象してみたい。
「この世界の無数のものの中には『どんな選択肢をとっても存在しているはずのもの』と『あのとき別の道をたどっていたら存在していないはずのもの』があることになる。そうやって類別すると世界の風景が一変するでしょう」 (P205)
「どんなことがあっても存在し続けるべきものと、わずかな手違いで消え去ってしまうものを識別する能力というのは、今を生きる上で死活的に重要なものだと思うんです。その能力のことを『壁抜け』というんじゃないかと思うんです」 (P206)
つまり、どんな世界でも存在し続ける「リアルなもの」と、少し世界が変われば「消え去ってしまうもの」の識別が大事だということ。ここから連想したのだが、なぜ「水を差す」のか、「空気を揺らす」のか。例え、水を差されたとしても、存在し続けるものと、水を差しただけで消えてしまうものとを、識別するために、その行為は必要なのではないか。
ということである。
さらに上記の本では、対談相手である僧侶の釈徹宗さんが語っていた次の言葉も印象深かった。
「我々は倦まず弛まず、苦しい日常を這いずりまわりながら、何とか生き抜いていかねばなりません。しかし、そのためにはときどき日常が揺さぶられ、撹拌されなければ、生きることがたいへん過酷で困難になってしまいます」 (P296)
とても深い。
いつの間にか自分の周りに広がり、固定されている日常や空気というもの。これを「水を差す」「空気を揺らす」ことで時々、変えていかないと、自分の居場所がどんどん息苦しくなっていく、ということなのではないか。
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