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2013年10月15日 (火)

「いざというときにリスクを取る自信と能力をつけるために、我々は学び続けねばならない」

前回のブログ(10月10日)の「失敗」「リスク」に関する言葉に続いて、「リスク」について書いてみたい。

話はいきなり飛ぶが、
TPPに関するニュースを読んでいると、日本の外交能力についての疑念が浮かぶ。

以前、ラジオで元フィンランド外交官の北川達夫さんが、もてはやされるフィンランドの教育についての話を思い出す。北川さんによると、フィンランドはヨーロッパの各国から 

「フィンランドはEUで何も発言しない」とバカにされ、外交交渉力を身につけるために教育改革が行ったということ。日本も教育レベルからの改革が必要なのではないか。

その外交について、雑誌『中央公論』(11月号)で、政策研究大学院大学客員教授の小松正之さんが「国際社会で外国人を言い負かす方法」と題する文章を書いて、外交交渉とリスクをからめていた。 

「日本人は国際競争が下手だと言われるが、私が思うに原因は語学力のみにあるのではない。もっと深い所にある。『語学力の不足』に加え、『語るべき内容がない』ことと『リスクを取ろうとしない姿勢』のせいだ」 (P44) 

どうやら外交能力にも「リスクを取ろうとしない姿勢」が関係しているようだ。 

さらに小松さんは、次のように書いている。 

「リスクを負わないと『組織は動かない』と言うと、外国人にはすんなり伝わるのだが、日本人は違う」 (P44) 

「これまで話してきたことのすべての根底には、現代の日本人のリスクを取らない姿勢がある。リスクを取るということは、『リスクを取らないことで被るリスク』を小さくするということだ。リスクを取るためには、自分の好奇心を大切にすることだ。好奇心がないと、人間は年齢とともに萎縮してしまう。知識を得ることで自分の世界を広げることができるかどうか。これがリスクを取れる人間とそうでない人間を分ける」 (P45) 

では、どうすればいいのか。最後にこう書いている。 

「私たちができることがあるとすれば、ひたすら愚直に学び続けると言うことだけだ。教養と学びに終わりはない。いざというときにリスクを取る自信と能力をつけるために、我々は学び続けねばならない」 (P45) 

この姿勢については、以前のブログ2012年1月12日)で紹介した佐藤優さんの言葉を思い出す。改めて著書『野蛮人の図書室』から。

「『どうしたらいいか?』って問いには、答えを出さずに不安な状況に耐えることが大事だと思う。回答を急がない。不安のままぶら下がって、それに耐える力こそが『教養』だと思うんですよ」

もうひとつ。これは「リスク」と関係ないが、さきほど名前を挙げた北川達夫さんが、2010年5月19日の講演 で次のように述べている。 

「たとえば、国連の事務次長として、数々の国際紛争を仲裁されてきた明石康さん。 明石さんは、欧米の『強力でグローバル・リーダー的な仲裁者』とは異なり、決して『自分が絶対に正しい」』という姿勢はとらなかったといいます。その姿勢が高く評価され、多くの国際紛争において紛争当事者たちから 『明石さんに仲裁者になってほしい』との声が上がったといいます」 

自分は正しいという姿勢はとらない。これは、5月15日のブログ で紹介した作家の高橋源一郎さんの言葉のほか、「正しさ」について紹介した言葉に重なる。ここでは高橋さんの改めて紹介しておきたい。読売新聞(2012年3月6日)から。

「『本当の正しさ』を突き詰めていくと、人は狭量になり、寛容さを失っていきます」

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