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2013年10月 9日 (水)

「僕らの立場でできることは違和感を表明し続けることしかない。誹謗中傷ではなく、理性的な違和感の表明」

一昨日のブログ(10月7日)に続き、「水を差す」という言葉について。

今年から筑波大学教授となった精神科医の斎藤環さんが、今日の東京新聞(10月9日)で次のように語っていた。まずは、戦前の空気を受けての話。 

「主戦論が盛んな場面で『勝ち目がないからやめよう』とはなかなか言えない。流れに水を差す人が忌避されたり、そういう人が自分から慎んでしまったりする傾向が積もり積もると、それが合理的だとわかっていても、撤退に踏み切れず、悪習の源になりかねない」 

今の風潮では、経済成長については、「主戦論一色」といってもいいのではないか。まずは経済を盛り上なきゃ、という空気が強い。原発にしろ、東京オリンピックにしろ、アベノミクスを後押しするものについて「批判」、すなわち「水を差す」ということがなかなか言えないのである。 

そんな「水を差す」ことがしにくい空気、風潮。それに対して、我々ができることとして、斎藤さんは、こんなことを挙げている。 

「僕らの立場でできることは違和感を表明し続けることしかない。誹謗中傷ではなく、理性的な違和感の表明」 

「穏便かつ理性的に、礼儀正しく違和感を表明する発想が大事。けんかしても原発は終わらない。すっきりしない感情をどう持ちこたえるか、成熟度が問われる」
 

そう。
それでも我々にできることは、ひとつひとつの「違和感」、それもひとつの「水」だと思うのだが、それを提示していくこと。しかも、感情に流されずに、理性的に、礼儀正しく。


 

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