「覚悟を失い、信頼を失い、友を失い、言葉を失ったものたちは、もはや自分の頭でものを考えることができなくなる」
前回のブログ(11月21日)に続き、政治の世界であふれる「曖昧な言葉」の問題について。
自民党の石破茂幹事長の発言が問題になっている。今回の発言でも、石破氏が使った「テロ行為」という言葉が気になる。彼はこの「テロ行為」という言葉を、本来の定義とは違った、拡大解釈ともいえる輪郭の曖昧な言葉として使っている。
そして、いま懸案の特定秘密保護法案。内田樹さんのブログ『内田樹の研究室』(12月1日) を読んでいたら、この法案の中での「テロリズム」の規定について取り上げていた。
「テロリズム(政治上その他の主義主張に基づき、国家若しくは他人にこれを強要し、又は社会に不安若しくは恐怖を与える目的で人を殺傷し、又は重要な施設その他の物を破壊するための活動をいう)」(第12条)
そして内田樹さんは、この定義について次のように指摘する。
「この条文の日本語は、誰が読んでも、『強要』と『殺傷』と『破壊』という三つの行為が『テロリズム』に認定されているという以外に解釈のしようがない」
まさに言葉の輪郭が、曖昧にされ、さりげなく拡大解釈されていくことに危惧を投げかける。ブログの最後を次の言葉でしめくくっている。
「このように法案文言に滑り込まされた『普通名詞』の定義のうちにこそこの法案の本質が露呈している」
言葉の定義、すなわち言葉そのものが曖昧に恣意的に使われていく。
それから、最近耳にした輪郭の曖昧な言葉を、もうひとつ思い出した。「積極的平和主義」。本当によくわからない言葉である。
沖縄タイムスは、その社説(9月29日)で、この言葉について次のように書いている。
「積極的平和主義という言葉は、口当たりのいいスローガンではあるが、中身はあいまいではっきりしない。護憲の立場に立つ平和主義を消極的平和主義だと批判し、具体的な行動を起こすことが重要だと安倍政権は指摘するが、何をもって積極的だと考えるのか、あやふやだ」
あいまいで、あやふやな言葉が、そのまま政治の世界で大きな顔をして流通していく。
先週聴いていた、文化放送の『ゴールデンラジオ』(11月27日)でも、経済学者の金子勝さんが、こうした言葉の問題に触れていた。
「第3者機関を首相がチェックするとか、何を言っているのかと思う。一事が万事、言っていることが国語になっていない」
そう。政治家の言葉が「国語になっていない」のである。
それから特定秘密保護法案について語っていた金子さんの言葉も印象的だった。
「ほとんど窒息状態の社会になってしまう。風通しが悪い社会がうまくいったためしない。だいたい失敗する。誰も批判しないから、いったん悪くなったら誰も方向性を是正できないから」
この言葉からは、以前、紹介したオシムさんの言葉を思い出す。雑誌『フットボールサミット』(第6号)より。(2012年8月31日のブログ)
「批判されることが全くなかったら、進歩などありえるはずがない。自分がいいのかどうかすら、知ることができない」
その特定秘密保護法案については、専修大学の政治学者、岡田憲治さんが、今日のブログ『大人の政治読本&愛おしき学生に告ぐ』(12月2日)での次の指摘も印象的だった。
「自分の頭でものを考え続けるためには、それに意味があると確信するためには、考えるための材料が世界に開かれていなければならない。ものを考えるための『言葉』、『出来事の有様』、『人の考え』、『冷徹な事実』、『不都合や失望を生む事実』が、我々に開かれていなければならない」
「我々は自分の頭でものを考えるための大切な条件を手にすることができず、自分の頭ではなく、人の言いなりとなってものを考える可能性が高まり、己の自信の無さがつのることで、だんだんと縮こまった心を持つようになる。そして、やがて自分たちのした決定に信頼を置くことができなくなる。当然自分たちの決めごとに対する『覚悟』を失う」
こちらも、「考えること」についての言葉を並べたときのブログを思い出す。(2013年4月12日のブログ )
金子さんの言う「窒息状態の社会」「風通しの悪い社会」。そこでは、人がものを考えることをしなくなり、そして誰も批判ということもしなくなる。今、政治の世界が「無意識」に目指している社会は、そんな社会なのだろう。
岡田憲治さんは、上記のブログで次のように締めくくっている。
「覚悟を失い、信頼を失い、友を失い、言葉を失ったものたちは、もはや自分の頭でものを考えることができなくなる。自分の頭でものを考えられなくなる人間が多数を占めた時、我々は民主政治を継続する必然を失う。それは真の暗黒である」
正しい輪郭の言葉を持つこと、手に入れること。それと「考えること」は、きっと切り離せないものなんだと思う。
政治の世界であふれる「曖昧な言葉」。それと特定秘密保護法案や、今回の石破発言など。いずれの問題からも、危うくて不気味な「通奏低音」が聞こえてくる気がするのだが。
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