「人は新しいことばよりも新しい品物のほうに魅力を感じた」
これまでのブログで何回か、「曖昧な言葉」が蔓延していることを考えてみた。(11月21日 や12月2日のブログなど)
きのう、コラムニストの小田嶋隆さんの新著『ポエムに万歳!』を読んだ。この本の中で小田嶋さんは、ニュース原稿や五輪の招致広告など、世の中のいろんな文章が「ポエム化」していると指摘している。この言葉の「ポエム化」というのは、きっと「曖昧な言葉」の蔓延と同じ現象のような気がする。
この『ポエムに万歳!』の中から、「ポエム化」が進んでいることについて考察しているフレーズをいくつか。
「書き手の何かが過剰な時、文体はポエムに類似する」
「たとえば、後述する東京オリンピックの招致広告の文案が、安いポエムから外に出られなくなったのは、頂点に立っている人間の文芸趣味を反映したからと言うよりは、主張すべきポイントが見当たらなかったからだ」 (P18)
「東日本大震災復興構想会議がまとめた『復興への提言』が古臭い昭和ポエムの文体で書かれていたのも偶然ではない。彼らもまた、主題を明確にすることができなかった。つまり、書き手が何かを隠蔽しようとする時、文章はポエムの体裁を身につけざるを得ないのである」 (P19)
主張するポイントが見当たらない…、主題を明確にすることができない…こういったことは、政治やエンターテイメントの世界で、ナショナリズム的な言説が増えていることの背景でもあるのではないか。一昨日のブログ(12月25日)に書いたことにも通じる。政治の世界やエンターテイメントの世界で受けているナショナリズムの言説も、すなわち「ポエム」なのである。
さらに小田嶋さんは、本の中で、こうも書いている。
「ポエムは、大衆受けする。それがポエムの恐ろしい一面だ」 (P20)
当然ながら、小田嶋さんは、本来の「詩」は別物ということで「ポエム」という言葉を使っている。
一方の詩の世界。
ボクが大好きな詩人に、荒川洋治さんという人がいる。その著書に、まさに『詩とことば』というタイトルの本がある。その中から、言葉について書かれた印象的な文章を載せておきたい。ちなみに次の指摘は、1979年の社会についてのものである。
「政治の季節も、興奮の季節も終わり、次から次に生まれる新しい商品に目を奪われるようになる。人は新しいことばよりも新しい品物のほうに魅力を感じた。革命よりも現実のほうが夢を与えた」 (文庫版P123)
「1970年半ばになると、人々はことばの想像力や創造性より、物を楽しむことを優先する」 (P177)
「人とことばの関係が変わった。単純になったのだ。人間が弱くなり、忍耐がなくなったのか、努力しなくても近づける簡単なことばに引き寄せられ、思考力や想像力を要する詩のことばは、興味の対象からはずれることになる」 (P178)
豊かさや、楽しさを、ちゃんとした「ことば」を獲得するよりも優先させてきた結果、「曖昧な言葉」があふれることになっているのだろうか。30~40年近い年月をかけて、こうなってしまったということなのか。やれやれ。
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