「やっぱり言葉以外のことを伝えるために言葉で書いているのでしょう」
きのうラジオを何気なく聴いていたら、エコノミストの吉崎達彦さんが次の言葉だけが耳に入ってきた。文化放送『くにまるジャパン』(1月21日放送)より。
「最近のビジネスのキーワード。ものづくりから感動を売る仕事へ」
職人や高い技術でちゃんと作られたものより、感動さるものが売れる時代になっている、ということ。当然というか、ビジネスの世界でも「感情を刺激すること」が優先されている。
既存の価値観を疑い、新しい価値観を見出す、という「批評」より、「感情さえ刺激すればよい」「共感が呼べればよい」という風潮に対して、ボクたちはどう対処していけばいいのか。今回は、そんなことを考えてみたい。
精神科医の名越康文さんが、MBSラジオ『辺境ラジオ』(12月29日放送)で、次のように話していた。
「ちゃんと自分の頭で理解したいと思うんだけど、今のところ『理解したい』というのが、『感情的に理解することが正しい』となってしまっている。自分でも感情的に判断しているのか、ちゃんと落ち着いて判断しているのかの区別がつかない人が一番多い」
名越さんは、「感情的に理解すること」と「ちゃんと判断すること」は別のことだとしている。そして今や、ものごとを判断する価値基準について、「感情」以外の指針がなくなってしまったとする。
「自分がもっと違う指針を持ちたいと思うようになっている。ところが何の指針で判断するのかが、日本人にはない」
「ところが日本には大きいのはやはり宗教がないというのがあるので、何を判断基準にするかというと結局、感情しかない。それに代わる指標を持つことは絶対にこのままではできない。そこを真剣に考えなければならない。では、何の軸で選ぶのかということ」
人々が感情的に動くと、世の中は荒れてくる。社会学者の宮台真司さんは、ビデオニュース・ドットコム『マル激トーク・オン・ディマンド』(1月4日)で、次のように語る。
「入れ替え可能問題。感情の働きもそう。誰でも反応するように反応することは浅ましい。入れ替え可能であり、別の可能性はないかについて考えるできない思考停止状態。そういう状態を脱することができるか」 (パート2 20分ごろ)
思想家の内田樹さんも著書『街場の憂国論』で書く次の文章も、宮台さんの指摘と同じことだと思う。
「『誰でも言いそうなこと』を言う人の言葉づかいはしだいにぞんざいになり、感情的になり、断片的になり、攻撃的になり、支離滅裂になっていき、やがて意味不明のものになります」 (P8)
「『誰でも言いそうなこと』を語る人は、『いなくなっても替えが効く人』だということです。その人自身は『多くの人が自分と同じことを言っている』という事実を根拠にして『だから私の言うことは正しいだ』と思っています。ネットに匿名で攻撃的なことを書く人のほとんどはそういう前提に立っています」 (P10)
感情が優先される世の中は、「入れ替え可能な言葉」があふれ、荒れていくということだろう。そして、「民主主義は感情統治」というような政治家が現れ(きのうのブログ)、マインドコントロールに絡めとられていく。
我々は、どうすればいいのか。次の内田樹さんの言葉の中にヒントがあるような気がする。上記の名越康文さんの言葉を受けて語ったもの。MBSラジオ『辺境ラジオ』(12月29日放送)より。
「カミュが言っている『反抗』とは何か。これは『反抗』ではない。元の言葉は、どっちかというと『嫌な感じ』『ちょっとムッとする』『ちょっと気持ち悪い』ということ。『理屈はあっているけど、言いすぎじゃない』『筋は通っているけど、言いすぎでしょ』。ある限度や節度を越えたときに『嫌な感じ』が自分はする。その『嫌な感じ』をベースにして哲学体系、倫理を構築しようとした。普通は、価値あるもの、信義であったり、善であったりするものを確固たる基盤にして、哲学や倫理の基盤を構築するわけだけど。自分の中で発生する『それ我慢できない』『むかつき』とか、身体的に生物としておかしいのではないかという感覚が彼にはある」
「むかつき」「我慢できない」、言い換えれば、「違和感」ということなのではないか。自分が時間をかけて身につけた価値観やリテラシーに照らして、内部から湧き上がる「違和感」。これを自分の判断基準にするということなのである。
実際に、カミュがいた時代のフランスのレジスタンスは、それをもとに連帯し、ファシズムと戦ったという。
「ナチスに対するフランスのレジスタンス。俺は『これが我慢できない』という我慢できない感を彼らが共有していた。頭にくる、怒り、とは違う」
「最終的に人間が大きな決断する時には、プラスのイメージに向かって『ああいう理想社会を作りましょう』『みんな、このイメージで、綱領で統一しましょう』『いいですか、反対の人でていけ』というのではなく、『オレ、どうしてもこのシステム我慢できないんだけど』『オレも!』というもの」
ふむふむ。
ただ、思うに「違和感」というのも、「感情」の一つであることは確かである。きっと大事なのは、自分の内部に芽生えた「違和感」に向き合うこと。そしてその、まだ言葉にならない「違和感」を、ちゃんと「輪郭のある言葉」にして相手に伝えていく。ということなのではいか。
作家の小川洋子さんが毎日新聞(1月13日)に、そのままのことを書いていた。自分の小説に対しての姿勢だけど、これは小説以外のことにも当てはまると思う。
「小説も言葉でしか表現できないけども書いていない所で、何を伝えるか。辞書にないような意味合いまでを伝えたい、あるいは想像させたいと思う。そのための言葉選びをする。ということは、やっぱり言葉以外のことを伝えるために言葉で書いているのでしょう」
繰り返す。やはり「言葉」なのだと思う。
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