「日本社会が自信を取り戻し、再び前進するためには、世界の多様な文化や価値観、政治や社会に目を開き、そこから多くを学びとるとともに、国内でも多様性を涵養してくことが必要です」
引き続き、「多様性」について。
前々回(2月25日)と前回(2月26日)のブログでは、日本の経営者や経済学者が、グローバルな時代には「付加価値」が必要と言いながらも、実際は、それと正反対の広報性を持つ「均一化」「効率化」を進めている、ということに触れた。
では、そのグローバルな時代に、僕たちはどうふるまえばいいのか。どんな社会を目指せばいいのか。
元国連難民高等弁務官で、国際政治学者の緒方貞子さん。おそらくもっとも国際社会を知る日本人の一人だと思う。彼女の言葉を、岩波書店編『これからどうする』から。
「日本はまず足元を固めることから始めなくてはなりません。そのために何が必要か。逆説的に聞こえるかもしれませんが、世界は多様性に基づく場所だということを真に受けとめ、自らも多様性を備えた社会にしていくことだと思います」 (P5)
「日本は、世界は多様な文化や価値観、社会から成り立っていることを十分認識していなかったのではないか。国際的な場で長年働いてきた私は、ここ10年近く携わってきた国際協力の現場でそう思うことが少なくありませんでした」 (P5)
「日本社会が自信を取り戻し、再び前進するためには、世界の多様な文化や価値観、政治や社会に目を開き、そこから多くを学びとるとともに、国内でも多様性を涵養してくことが必要です。そのことが日本に活力を与え、閉塞感を打開することにつながるのです。そこにこそ、これからの日本の進むべき道はあるのです」 (P6)
「世界の多様性と向き合い、自らも多様性に基づく社会を築くために、最も大事なのが教育のあり方です。日本の教育の最大の問題は、画一性ではないでしょうか。生徒たちは同じ教科書で、一斉に同じことを学ばされています。異なる意見とのコミュニケーションを通じて、自分の意見を鍛え上げる、そうした訓練の場にはなっていません。世界の中で生きていく力を身につけるための、多様性をはぐくむ教育に変えていくべきです。語学力はもちろんですが、それに限りません。より広がりのある視野をもとうとする好奇心、異なる存在を受容する寛容さ、対話を重ね自らを省みる柔軟性、氾濫する情報をより分ける判断力、そうした力の総体こそが求められているのです」 (P6)
この緒方貞子さんの言葉は、とても深く深く、正鵠を射ていると思う。上記の言葉だけでも、今日本社会の持つ多く問題点について言及している。
僕らが目指すべき社会の姿だと思う。ぜひ、政治家の方々、経営者の方々、そして僕自身を含めた市民の方々も、この言葉に胸に刻んでおいた方がいいのでは。素直にそう思う。
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この記事?文面。とても共感します。
多様さを否定する考え方の裏には、演繹法でしか?考える事が出来ないパターナライズに特化した思考体型が、在る。
それは、学校と言った教育機関からの、洗脳?パーツ製造に特化した教育が在る。
で、それが、 あ な た は あ な た で よ い の だ 。
を、否定し、、、この自殺大国が出来あがってる。
そう、思えます。
投稿: ノムラマサカツ | 2015年4月27日 (月) 22時29分