「そして、効率性は、多様性を犠牲することによって高められる」
3回前のブログ(3月13日)で、社会学者の山下佑介さんによる「人の暮らしより『復興』が優先されている」という言葉を紹介した。
今回は、いくつかの言葉から、この今行われている「復興」から「社会」に通じるものについて考えてみたい。
北海道大学大学院教授で政治学者の宮本太郎さん。『さらさらさん』(著・大野更紗)より。
「先日、私も宮城県の石巻を見てきましたけれど、沿岸部はともかく街並みだけみればかなりきれいになっている。でも、きれいなった建物の向こうで人びとが抱えている『困ったこと』をどれだけ政治が想像できているかと言えばあやしくなります。3・11以降、内部疾患と外傷を切り分ける議論が進んで、明らかに『効率化』という声が広がったと思います」 (P193)
様々な被災者の個々が持つ「困ったこと」、すなわち「暮らし」よりも、「効率化」された「復興」が優先されているということである。
僕も被災地に行くと、よく感じることだ。被災者の方々の事情は、本当にそれぞれだし、多様な「困ったこと」を抱えている。
文化人類学者の辻真一さんは、著書『弱さの思想』で、その「効率」と「多様性」について、次のように書いている。
「多様であるってことは非効率ですからね。効率性を重んじる現代社会から見ると、多様であることは弱いことなんです」 (P117)
「効率性は文明における強さの定義に欠かせないものです。そして、効率性は、多様性を犠牲することによって高められる。つまり、多様性を負かすことによって効率性は勝つ」 (P165)
それは、きっと被災地だけの問題ではない。我々の一般社会だって、
そうなのだ。緒方貞子さんが言う「多様性のある社会」(2月26日のブログ)よりも、「同調圧力」による画一化された社会が形成されていく。
どうすれば、「効率化」よりも、多様な「暮らし」が優先される社会を手に入れられるのだろうか。
もうひとつ、社会学者の山下祐介さんの言葉を載せておきたい。著書『東北発の震災論』から。
「システムが大きすぎるのだ。大きすぎる中で、中間項がなく、政治がすべての国民を大事にし、そのための決定を行おうとすることに問題があるのだ。そして政治のみでは無理だから、科学が、マスコミが、大きな経済が介入する。だがこうした大きなものによる作用の中では、一人一人の声は断片でしかなくなる。しばしば人は数字となり、モノとなる。人間の生きることの意味は逆立ちしてしまい、人は人でなくなる」
大きなシステムの中で、「まったなし」がキャッチコピーとされるような「効率性」を追求した政策がすすめられていく。そうして個々の「暮らし」が失われているのだ。
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