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2014年3月 5日 (水)

「ならば、どんなにか辛くても目を背けず真正面から向き合い、自分で考え、自分で動くしかないじゃないか。弁解したところで、愚痴ったところで詮方ない」

ここ3回のブログでは、まずは映画『ハンナ・アーレント』から、「思考停止」「考えないこと」の罪について言及。そして日本人の持つ「見たくないことは見ない」「考えたくないことは考えない」という習性について考えてみた。

その3回のブログで紹介した以外に、そのことに近い言葉を紹介しておきたい。

アナウンサーの吉田照美さん著書『ラジオマン』から。

「日本人の一番悪いところは、『すべてが他人事』という感覚に侵されているところだと思います。自分の身に降りかかったときに初めて、事の重大さに気づき、自分の置かれている立場を知らされる。あんな大きな事故があったにもかかわらず、そういう気質が今でも直っていない。日本人特有の、水に流せないのに流してしまおう的な状況が、相変わらず続いていることの恐怖をつくづく感じます。本当は、水に流しても元通りにならないことだってあるはずなのに」 (P197)

映画監督の崔洋一さんTBSラジオ『伊集院光 ツタヤに行ってこれ借りよう』(2013年10月18日放送)での言葉。

「たぶん我々は、非常に物事や事実に関する選択能力っていうものをどこか自分で置き去りにしている風潮があると思う。現実逃避とも違う、現実の中にいるんだけど、なるべく遠ざけてちょっと顔は横に向けるというような。それでも全体は進んでいく、というような空気感がある」

見たくないものを見ない、という習性はマス・メディアにおいても同じ。本来、メディアの仕事は、見えないものを見えるようにすることなのに。

ピーター・バラカンさんJFN『学問のススメ』(2013年4月2日放送)から。

「日本の放送界は、複雑な問題だとか、ちょっと物議をかもす問題に関しては、あまりしゃべらない。報道でもタブーになっていることが多すぎる。例えば、放射能がそう。日本の電波にはほとんど出ない。この言葉が。今の日本では、それではダメです。 メディアはビクビクしないで伝えるべきことをきちんと冷静に伝える」

では、我々は、どうしたらいいのか。前向きというか、処方箋の言葉も載せておきたい。

きのうも紹介した東愛知新聞の社説(9月1日)から。


「求められているのは、しっかりと自分を持ち、『考えたくないこと』でも考えるという『空気の国の習い性』からの脱出です。そうでないとわれわれの国や地域は如是閑の言う『いかさま』になってしまいます」

 

ちなみに、如是閑とは、長谷川如是閑さん。戦前のジャーナリストである。

そして、もうひとつ。作家の田中康夫さん雑誌『文藝』冬号に掲載された小説『33年後のなんとなく、クリスタル』から。

「目を開けても閉じていても、哀しいときも苦しいときも、そして嬉しいときも愉しいときも、一分一秒、時は常に変わらず。過ぎていくのだ。ならば、どんなにか辛くても目を背けず真正面から向き合い、自分で考え、自分で動くしかないじゃないか。弁解したところで、愚痴ったところで詮方ない」 (P93)

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