« 「敢えて“見たくないことも見る、考えたくないことも考える”ようにしなければ同じ愚を繰り返すことになる、ということではないだろうか」 | トップページ | 「ならば、どんなにか辛くても目を背けず真正面から向き合い、自分で考え、自分で動くしかないじゃないか。弁解したところで、愚痴ったところで詮方ない」 »

2014年3月 4日 (火)

「考えたくないことは考えない、考えなくてもなんとかなるだろう。これが空気の国の習い性だ」

きのうのブログ(3月3日)では、最後に畑村洋太郎さんの次の言葉を紹介した。岩波書店編集『これからどうする』から。

「東日本大震災の津波と原発事故で私たちが学んだ最大のことがらは、“人は見たくないものは見ない、考えたくないことは考えない”という特性を持っているため、敢えて“見たくないことも見る、考えたくないことも考える”ようにしなければ同じ愚を繰り返すことになる、ということではないだろうか」 (P349)

政府の事故調査・検証委員会委員長を務めた経験からの言葉である。

 

今朝の読売新聞(3月4日)にも、その畑村洋太郎さんのインタビューが載っていた。事故から3年、政府や東京電力を強く批判している。

「報告書に『見ないものは見えない。見たいものが見える』など、事故で得た知見を書いたが、ほとんど改善されていない」

「どんなに考え、調べても、自分たちには考えが至らない領域がある。まずそれを認めることだ」


あれだけ大きな事故を起こしても、「見えないものは見えない」。この習性をただすことなく、もう3年が過ぎようとしている。

エッセイストの阿川佐和子さんインタビュー集『阿川佐和子の世界一受けたい授業』で次のように語っている。

「この対談で半藤一利さんにお話を伺いしたとき、『日本人は、起きてほしくないことには、起きないだろうと思ってしまう。先の大戦でも、ソ連は絶対に参戦しないと思い込んでいた』とおっしゃっていたんですけど、たしかに大事な判断をするときに、楽観的になる癖があるのかなと」 (P85)

3年前から変わらないのではない。先の大戦から、ずっと変われていないのである。

作家の荒俣宏さん著書『すごい人のすごい話』から。

「ぼくは、現代の日本人は楽しいことばかり追い求めて、その代償として重いものを背負うことを避けているように見えるんです。例えば、かつて日本が戦争をやったという事実も、きちんと背負うべきだった。でも、そういうことは重いから、できるだけ考えたくない。『背負う』を別の言葉でいうと『あきらめる』。どこであきらめがつくかという問題じゃないですか」 (P314)

去年9月1日の東愛知新聞の社説には、作家の笠井潔さんを引き合いに次のように書かれている。

「『最悪の事態を想定しての必要な準備ができず、危機管理能力を致命的に欠いているのは、日米戦争から福島原発事故にいたるまで、空気が支配する日本社会の宿命的な病理』だ、と作家の笠井潔さんが指摘しています」

「笠井さんは『考えたくないことは考えない、考えなくてもなんとかなるだろう。これが空気の国の習い性だ』と指弾します。場の空気に流される習性からの脱却が大切です。これは国づくり、地域づくりにも言えることなのです」


見たくないものを見ず。考えたくないことは考えず。背負うことを避け、あきらめることを避け、そうやって70年余り、そういう「思考停止」の習性でやってきた。そこで、「第2の敗戦」という人もいる「3・11」を迎えることになった。

 

ドキュメンタリー映画監督の想田和弘さん東京新聞(2013年9月11日)では、次のように語っている。

「放射能汚染や人びとの苦しみを『なかったこと』にしないと、五輪の昂揚感も経済利益も台無しになる。招致の成功で、多数派には原発事故をないものにする強い動機が生まれた」

最初の東京オリンピックは結果として、「第1の敗戦」を「なかったこと」にすることに貢献し、今度の東京オリンピックは、「第2の敗戦」である3・11を「なかったこと」にすることに貢献するのだろうか。

« 「敢えて“見たくないことも見る、考えたくないことも考える”ようにしなければ同じ愚を繰り返すことになる、ということではないだろうか」 | トップページ | 「ならば、どんなにか辛くても目を背けず真正面から向き合い、自分で考え、自分で動くしかないじゃないか。弁解したところで、愚痴ったところで詮方ない」 »

震災・原発」カテゴリの記事

★歴史から学ぶこと」カテゴリの記事

★考えることの大切さ」カテゴリの記事

戦争」カテゴリの記事

同調圧力」カテゴリの記事

コメント

この記事へのコメントは終了しました。

« 「敢えて“見たくないことも見る、考えたくないことも考える”ようにしなければ同じ愚を繰り返すことになる、ということではないだろうか」 | トップページ | 「ならば、どんなにか辛くても目を背けず真正面から向き合い、自分で考え、自分で動くしかないじゃないか。弁解したところで、愚痴ったところで詮方ない」 »

カテゴリー

無料ブログはココログ