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2014年3月17日 (月)

「しかし、それもこれも、どこかできいたようなことばかりではないか」

前回のブログ(3月14日)では、「ムラと空気のガバナンス」というジャーナリストの船橋洋一さんの言葉を載せた。

その船橋洋一さん近著『原発敗戦』は非常に興味深い本だった。今回は、その中からの言葉を中心に紹介してみたい。

まずは、もう一度、船橋さんによる「村と空気のガバナンス」についての言葉を載せたい。ビデオニュース・ドットコム(3月8日放送)より。

「民間事故調で『ムラと空気のガバナンス』という言葉を打ち出した。まさに空気。異質のものを認めたくない排除しようする。だから本当の意味での議論がなかなかできない。同質的なもの、初めから結論を分かっていて落としどころが分かっていて相場観を共有している、ということ。これは、リスクという観点に絞ってみても、ここまでにしておきましょうという、みんな言わなくても以心伝心分かっちゃう」 (パート①27分ごろ)

「異論をあえて唱えることをダサい。KYなんだよ、読めないと。空気を読める奴ばかりだから、役に立たない。ムラと空気のガバナンスをやっているから、どうしても危機には弱い」 (29分ごろ)

『原発敗戦』では、その「危機には弱い」という日本の社会の問題点がいやというほど指摘されている。

「危機の際、求められる人間は空気を読むタイプではない。危機の時は優先順位を峻厳につけるしかない。こうしたときは、現実の感情の渦に巻き込まれず、専門性と理性だけを頼りに発想し、助言できる人間――空気を読むのが必ずしも得意でないタイプ――が役に立つ」 (P66)

「官僚機構は平時は、法遵守、公正、効率――実際、それが実現しているかどうかは別問題として――、ボトムアップなどを重んじる。
 
しかし、危機にあっては法律を曲げなければならないこともある。トリアージュのような優先順位を容赦なく迫られることもある。効率一本槍ではなくリダンダンシー(溜め)が必要なこともある。指揮官の更迭、チームの編成替え、損切りなどはトップダウンでやる以外はない」 (P150)

「危機の時には、このように所見、知見を明確に言い切る専門家が必要なのです。しかし、空気はまったく読めないし、読もうともしない。結局は、官邸からつまみ出されてしまう。集団を同質にしすぎてムラにすると、危機に弱くなる。日本の“国債ムラ”にもそのリスクがあると見るべきでしょう」 (P235)

これは、ビデオニュース・ドットコム(3月8日放送)でも本人が語っている。

「日常の場合だったら、平等とか公正とかいうのはとても重要です。それから法の遵守。それから効率がなければ続かない。下からきちんとあげていくという手続き、手順、これも重要です。しかし、危機の時は、ここだけは残さなければいけない、ここだけは切り捨てるという優先順位というのが決定的に重要。全部は残せない。法律の遵守もギリギリ守るにしても相当変えなければいけない。例えば効率も、一辺倒ではいけない無駄なところが意外に力を発揮したりする」 (パート①54分すぎ)

「最後は価値観なんです。つまり優先順位って価値観になる。危機の時は価値観のぶつかり合い、激しい衝突ですから。その時に誰の価値観、社会全体とか、民族全体とか、将来の時間軸とか、そういうことになってくる。どこを残すかということは。単に効率性とかいうことではなくて、価値観そのものを日頃から育てるような、共有するような場と、それを引っ張っていくような人材をつくらないといけない」 (パート②11分ごろ)

ここでの「最後は価値観」という言葉は重いと思う。

えば企業におけるコンプライアンスとは、危機対応のためのものに設けられているはず。本来は、その企業にとっての一番大事な「価値観」を決め、その理念に基づいた経営を行うことが大切なはず。

なのに実際におこなわれているのは、コンプライアンスを突きつめた結果、コントロールしやすい同質的な組織を作り、リスクを避け、異質を排除し、危機に直面しても法令順守し続け、まったく危機に向かない組織を作り上げてしまう。


まさに東京電力がそうであり、また日本という国もそうなのである。ということ。


船橋洋一さんは、次のようにも書いている。 

「危機の時、その国と国民の本当の力が試されるし、本当の姿が現れる」 (P20)

上記した船橋さんの指摘の中には、このブログで、これまで何度も取り上げていた問題がたくさんある。


「ルール」
「コンプライアンス」「コントロール」「優先順位」「価値観」「水を差す」、そして「言葉・言語力」

『原発敗戦』の中には、その「言葉」についての指摘も多い。

「もう一つ、危機の際、重要なのはリーダーの発する「言葉」である。
あの国家危機のさなか、菅は国民の心に残る言葉を一つとして発しなかった。
それによって『国民一丸』となって危機に取り組むモーメントを生み出すことができなかった」 (P68)

「『絶対』は魔語である。『絶対』という言葉を使った瞬間からそれこそ『負け』なのである」 (P108)

そして、この本の「はじめに」には、次のように書かれている。

「しかし、それもこれも、どこかできいたようなことばかりではないか」

「戦後70年になろうとしているというのに、いったい、いまの日本はあの敗戦に至った戦前の日本とどこがどう違うのだろうか」

「日本は、再び負けたのではないか」

「福島原発事故は、日本の『第二の敗戦』だった」 (P20)

そして、最後に収められている歴史家の半藤一利さんとの対談の中で、船橋さんは次のように語る。

「共通の遺産として後世に残していく。いざというときに反射的に、『あ、これはあのときの失敗に似ている』『あのときはこうして助かった』と。国民の記憶に深く刻まれるかどうかが、次の危機を乗り越えるための、よすがになるはずなのです」 (P272)


そうなのである。我々は「ムラと空気のガバナンス」を抜け出すためにすることは、「歴史から学ぶ」しかないのである。(「歴史に学ぶ」

 

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