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2014年3月27日 (木)

「私たちは、生きるテーマを見つけるために生き、そして書くのだ」 

前回の続き。
目的を忘れて、その手段を目的としてしまう。日本のあちこちで見られる習性。それについての追加の言葉。

タレントの太田光さん著書『いじめという怪物』から。

「特に中学生で教えることは、学問というものの入り口です。そこで重要なことは、答えを知ることではなくて、問いを立てること、問いを意識することだと思います。学ぶというより問うんです」 (P45)

「学校で教える算数でも国語でも理科でも社会でも、その最終目標は一緒ですよ。その学問っていうのはまさになんで人間が生きているのかという、この我々はなんで存在しているんだろうということを、いろんなところから探求している。そのいちばんの始まりが小学校の国語・算数・理科・社会にある」 (P169)

劇作家の平田オリザさん著書『演劇入門』から。

「私たちは、テーマがあって書き始めるわけではない。むしろ、テーマを見つけるために書き始めるのだ。それは、私たちの人生が、あらかじめ定められたテーマ、目標があっていきているわけではないのと似ているだろう。私たちは、生きる目的をどうにかしてつかもうとして、この茫洋としてつかみどころのない人生だろうか。私たちは、生きるテーマを見つけるために生き、そして書くのだ」 (P108)

我々は、「生きるとはどういうことか」というような見えない目標・テーマを抱えて学び続ける。その答えは見つからないかもしれない。だが見つからないからと言って、あきらめてはいけない。また安易に、目標を点数などの目先の「手段」にすり替えてもいけない。

実は、我々の目的は「答え」を知ることではない。その答えを得るために、考え、問い続ける過程こそが目的なのであろう。そして、考え、問い続けることが人生というものなのだろう。何か具体的な「形あるもの」を手に入れることが人生ではない。それこそ手段にすぎないのなのかもしれない。

もしかしたら、我々は人生というものについても「目的」と「手段」を逆転させがちなのかもしれない。

上記の2人言葉から、そんなことを考えた。



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