「人と人の違いがあるからこそ、世界は美しい。私がサッカーを始めたころボールは白と黒だった。今は様々な色で彩られている」
少し時間が経ったが、浦和レッズのサポータによる差別的横断幕の問題について。いろんな指摘があったが、一番、印象的だった言葉として、エスパルスのゴドビ監督が、無観客試合(3月23日)の記者会見で語ったものを載せておきたい。
「サッカーから差別をなくしていかなければならない。人と人の違いがあるからこそ、世界は美しい。私がサッカーを始めたころボールは白と黒だった。今は様々な色で彩られている」
そう。世の中には、いろんな違いがあるのである。だから、美しい。
もう一度、「違い」について書いたブログ(2月25日)と、「多様性の大切さ」について書いたブログ(2月26日)を読み返してみた。
それに追加ということで、劇作家の平田オリザさんの次の言葉も載せておきたい。著書『世界とわたりあうために』から。
「グローバリズムは、ローラーで地面をならすように世界を平らにしていく。だからこそ、私たち芸術家の仕事は、『ちょっと待ってくれ。俺たちは、まだこんなに違う』と訴えることだ」
「ただし、文化や宗教の『違い』だけを強調し、それを声高に訴えれば、それは偏狭な民族主義へと陥ってしまう。私たちがしなければならないことは、『私たちは同じものを見ているが、感じ方はこんなに違う』と語っていくことだ。少なくとも、劇作家としての私の仕事は、そこにある」 (P108)
もうひとつ。
とても大切じゃないかと思う、平田オリザさんの次の提案も載せておきたい。著書『ていねいなのに伝わらない「話せばわかる」症候群』から。
「少なくとも、中学生くらいで「国際関係」という授業を週に一時間でもつくって、中国や韓国の人たちの文化や背景を知識として学んでいくようにする」 (P196)
「国際関係」という授業をつくっては、という提案である。今、安倍政権が進めている「道徳教育」なんかも、こっちを導入すべきだと思う。
学校で、それぞれの宗教の考え方や価値観について教えることは難しいのかもしれない。しかし、世界にはどんな宗教があり、どのくらいの信者がいて、それぞれ、どんな習慣や禁忌を持っているかは教えられると思う。どんな国の人が、どんな宗教の人が例えば何を大切にして、何を嫌がるのか。つまり「違い」について、我々は知っておいた方がいいと思う。
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